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2018.12.01
高橋彩子の「耳から“観る”舞台」第8回

音楽は嘘をつかない? 舞台上で3種の楽器を演奏する女方の難役! 十二月大歌舞伎『阿古屋』

オペラやバレエにおいて、歌手やダンサーが舞台上で楽器を演奏することはありませんが、歌舞伎はそれを要求します。しかも3種類!

『阿古屋』の主人公である遊女・阿古屋は現代においては坂東玉三郎のみが演じている難役。しかし、2018年「十二月大歌舞伎」では玉三郎に加え、20数年ぶりの新キャストとして中村梅枝、中村児太郎の2人が出演! 舞台も歌舞伎界も盛り上がる十二月大歌舞伎『阿古屋』の魅力を高橋彩子さんが徹底的にご紹介します。

高橋彩子
高橋彩子 舞踊・演劇ライター

早稲田大学大学院文学研究科(演劇学 舞踊)修士課程修了。現代劇、伝統芸能、バレエ、ダンス、ミュージカル、オペラなどを中心に執筆。『The Japan Times』『E...

『壇ノ浦兜軍旗 阿古屋』遊君阿古屋=坂東玉三郎

撮影:岡本隆史 提供:松竹株式会社

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よく「○○を愛する人に悪い人はいない」などと言う。この○○に音楽が入ることは、けっこう多いのではないだろうか。数年前には、子どものゲーム機を壊したと告白して非難された演奏家を、別の演奏家が「あんなに純粋で美しい音色を奏でられる人に悪い人がいるわけがない」と擁護したこともあった。

人の“善悪”がわかるかどうかはともかく、演奏にはその人のさまざまな面が表れる。遠慮がちでおっとりとした人なのに演奏では負けん気の強さが前面に出ていたり、粗野に見える人の奏でる音が得も言われぬ優しさや繊細さで満ちていたり。だから、音楽は演奏者の心を映し出すなどとされるのだろう。

奏者と演奏を巡るこうした言説は、昨日や今日生まれたものではない。1732年に人形浄瑠璃として初演され、ほどなく歌舞伎としても上演された『壇浦兜軍記(だんのうらかぶとぐんき)』の三段目、通称『阿古屋(あこや)』(『阿古屋琴責(ことぜめ)』『琴責め』とも言う)は、その好例だ。

楽器が嘘発見器に!? 楽器が話の鍵となる『阿古屋』

『阿古屋』のヒロイン、阿古屋は、傾城(けいせい)、つまり遊女。平家方の武将として名を馳せた悪七兵衛景清(あくしちびょうえかげきよ)の恋人で、その子を身ごもっている。景清は源平の合戦に平家が敗北した後、頼朝を討とうとして失敗したのだが、阿古屋は彼の行方を知る人物として源氏方に捕らえられた。

彼女の詮議をする役目の秩父庄司重忠(ちちぶしょうじしげただ)は、乱暴をせず、“義理と情けを大切にする遊君(遊女)にとって恋人を売るのは辛いだろうが、ここは鎌倉殿にお心に叶ったほうが身のためだ”と諭す。一方、詮議の助役として同席した岩永左衛門(いわながさえもん)は、“こんな手ぬるいやり方ではだめだ。拷問だ!”と騒ぐ。まるで、北風と太陽のような両者、果たして軍配は……? と盛り上げたいところだが、阿古屋は“水責め、火責めは怖くないけれど、情けと義理とで責められると堪える”としながらも、“本当に知らないのだからどうしようもありません”と答えるばかり。

ここで、重忠はなんと、阿古屋に琴を弾けと命じるのだ。何のことだかわからないまま、〈蕗組〉という琴の曲を演奏する阿古屋。「菜蕗というも草の名 茗荷というも草の名 富貴自在徳ありて 冥加あらせ給えや」という歌詞の一部を即興で変えて、「影というも月の縁 清というも月の縁 影清き名のみにて うつせど袖にやどらず」、つまり“景清のことは知らない”と歌う。さらに、重忠に問われるままに景清との馴れ初めを語る阿古屋。

『壇ノ浦兜軍記 阿古屋』遊君阿古屋=坂東玉三郎


撮影:岡本隆史 提供:松竹株式会社

これを聞いて重忠は「聞き届けたが詮議はまだ終わらない。三味線を弾け」と指示。すると阿古屋は三味線を弾きながら、「翠帳紅閨に枕並ぶる床の内〜」と、恋しい吉田少将と別れた遊女・花子が自らを前漢の成帝の寵妃・班婕妤に自らを重ねて嘆く能『班女』の一節を歌い、恋人から離れた心情を表す。そして、“平家が栄えていたときでさえ人に知られた武将である景清との逢瀬は人目を忍ぶものであり、景清が追われる身となってからは自分のいる廓の店の前を通ったときにこっそり一言交わしただけだ”と嘆く。

その言葉に理解を示しながら、重忠が次に命じたのが、胡弓の演奏だ。阿古屋は「吉野龍田の花紅葉 更科、越路の月雪も 夢とさめては跡もなし。仇し野の露 鳥辺野の煙は 絶ゆる時しなき これが浮世の真なる」と、胡弓を弾きながら歌う。吉野の花(桜)、龍田川の紅葉、更科の月、越路の雪といえば、いずれも究極の名勝。一方、仇し野と鳥辺野は火葬場だ。つまりここでは、恋する人の幸せなときが終わったことが、無常観とともに表現される。

阿古屋による琴、三味線、胡弓の演奏を聴いた重忠は、「景清の行方を知らないということに偽りはない」と判定。楽器演奏が嘘発見器のような機能を果たし、阿古屋の潔白が証明されたというわけだ。なんとも優雅で芸術的な取り調べではないか。

11回目の阿古屋に挑む、現代最高峰の女方、坂東玉三郎の至芸

この『阿古屋』を人形浄瑠璃(文楽)で上演する場合、奏者と人形遣いは別々だが、大変なのは歌舞伎の場合。俳優は舞台上で実際に、琴、三味線、胡弓を弾かなければならない。それも、武将に愛された傾城の品位を保ち、嘘のない真っ直ぐな音で、かつ、戦によって恋人と別れ別れになった傾城の悲しい心情を表しながら。

そうしたハードルの高さゆえ、阿古屋を演じることができる歌舞伎俳優は極めて稀。この20年間に演じたのは、坂東玉三郎のみだ。それ以前は六世中村歌右衛門が、やはりほぼ一人で30年以上、この役を守ってきた。ちなみに玉三郎は自身が演じることになるとは思っておらず、急に話が来て驚いたそうだが、体調を崩し始めていた歌右衛門の監修の下、97年に国立劇場で初役を勤めている。

『壇ノ浦兜軍旗 阿古屋』遊君阿古屋=坂東玉三郎
撮影:篠山紀信 提供:松竹株式会社
坂東玉三郎

映画やテレビには出演せず、歌舞伎一筋で、戦後の歌舞伎界の頂点に君臨した伝説の女方、六世歌右衛門。恐らくはその歌右衛門の威光も影響して、歌舞伎のみならず映画監督のアンジェイ・ワイダやダニエル・シュミット、振付家のモーリス・ベジャール、チェリストのヨーヨー・マらとのコラボレーションでも名を馳せた玉三郎。タイプは違えど立女方(最高位の女方)が演じ継いできたのが、この阿古屋という役だと言えるだろう。

今年の「十二月大歌舞伎」で玉三郎は、11回目の『阿古屋』に挑む。弾くだけでも難しい楽器を阿古屋として自然にこなし、傾城ならではの華やかさ、艶やかさに加え、この女性の魂の透明さ、哀しさ、儚さを浮かび上がらせるその芸は、まさに必見・必聴だ。

若手女方、中村梅枝と中村児太郎の挑戦

12月の『阿古屋』には、もう一つ大きな話題がある。それは、68歳の玉三郎が円熟の芸を見せるAプロに対し、Bプロでは、31歳の中村梅枝と24歳の中村児太郎が、Wキャストで阿古屋役に初挑戦すること。

玉三郎はこれまで、さまざまな役者に演じないかと声をかけてきたというが、今回、梅枝と児太郎が、琴、三味線、胡弓の稽古の成果を玉三郎に聴かせ、実現する運びとなった。

『壇ノ浦兜軍旗 阿古屋』遊君阿古屋=中村梅枝
撮影:岡本隆史 提供:松竹株式会社
中村梅枝
『壇ノ浦兜軍旗 阿古屋』遊君阿古屋=中村児太郎
撮影:岡本隆史 提供:松竹株式会社
中村児太郎

歌舞伎の世界では、初役はゴールというより、スタート。まずは舞台を経験し、多くを学んでこそ、飛躍も成る。その第一歩にこぎつけた梅枝と児太郎にエールを送りたい。

なお、歌舞伎のもとになった文楽の『阿古屋』も、来年1月に大阪の国立文楽劇場、2月に東京の国立劇場で上演。玉三郎も参考にするという文楽版、併せて楽しんではいかがだろうか?

十二月大歌舞伎

日程: 平成30年12月2日(日)~26日(水)

 

場所:歌舞伎座(東京都中央区銀座4丁目12-15)

 

昼の部:

 

一、幸助餅(こうすけもち)

二、於染久松色読販(おそめひさまつうきなのよみうり)

お染の七役
浄瑠璃「心中翌の噂」(しんじゅうあしたのうわさ)

 

夜の部:

 

Aプロ(2・3・6・7・10・11・13・14・17・18・20・21・24・26日)

一、壇浦兜軍記(だんのうらかぶとぐんき)阿古屋

二、あんまと泥棒

三、二人藤娘(ににんふじむすめ)

Bプロ(4・5・8・9・12・15・16・19・22・23・25日) 

一、壇浦兜軍記(だんのうらかぶとぐんき)阿古屋

梅枝(4・8・12・16・22・25日)

児太郎(5・9・15・19・23日)

二、あんまと泥棒

三、傾城雪吉原(けいせいゆきのよしわら)

 

初春文楽公演

日程:2019年1月3日(木)~2019年1月25日(金)

 

場所:大阪府大阪市中央区日本橋1-12-10

第1部 午前11時開演

二人禿(ににんかむろ)

伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)
壺坂観音霊験記(つぼさかかんのんれいげんき)

 

第2部 午後4時開演

冥途の飛脚(めいどのひきゃく)

壇浦兜軍記(だんのうらかぶとぐんき)

2月文楽公演

日程:2019年2月2日(土)~2019年2月18日(月)

 

場所:国立劇場(東京都千代田区隼町4-1)

 

第一部(午前11時開演)
桂川連理柵(かつらがわれんりのしがらみ)

第二部(午後2時30分開演)
大経師昔暦(だいきょうじむかしごよみ)

第三部(午後6時開演)
鶊山姫捨松(ひばりやまひめすてのまつ)

壇浦兜軍記(だんのうらかぶとぐんき)

高橋彩子
高橋彩子 舞踊・演劇ライター

早稲田大学大学院文学研究科(演劇学 舞踊)修士課程修了。現代劇、伝統芸能、バレエ、ダンス、ミュージカル、オペラなどを中心に執筆。『The Japan Times』『E...

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