飯田 ブルックナーの音楽は繰り返しも多くて、起伏がよくわからないという意見もありましたが。
広瀬 でも、基本的には主題は3つなんです。だいたい第1主題はドーンと派手だけど荘厳なイメージで、第2主題がちょっと田舎の素朴な舞曲ふう。第3主題もドーンと攻めています。そして、こうした主題は順番に出てきます。それぞれの間をきれいに繋ごうとか全然考えないんですよ。ブラームスとかだったら、第1主題から第2主題に繋げるとき、非常に凝った推移部を作ってたり、なにかと工夫するじゃないですか。ところがブルックナーは、主題ごとにブツ切りで「はい次」とシンプルに出してくる。
編集部M だったらわかりやすいはずなのに、なぜ何を聴いても、どこを聴いても、わからない気持ちにさせられるのだろう。
広瀬 例えば「第7番」の第4楽章だったら、第1主題、第2主題、第3主題と出したあと、展開部を経て、再現部に入ります。再現部では、第3主題、第2主題、第1主題の順番に出してきたりするんです。
飯田 オシャレじゃないですか。
広瀬 そう。ちょっとオシャレなのだけど、展開部が小さめなんですよ。だから、第3主題がまたすぐ出てきちゃう。あれ? 展開部にいったんじゃないの?あれ、今どこ? ってなっちゃう。でも、その後に第2主題、第1主題と出てくるから、あ〜そうなってんの?やられた〜と思うわけです。
飯田 主題の並びがトリッキーだったりして迷子になりがちだけど、性格の違う主題がブツ切りで出てくるという特徴は、聴き方のヒントになりますね。ところで、「どの交響曲も似てる」問題もありますが。
広瀬 それはね、そのように作られているからなんです。
飯田 え……。
広瀬 この人は、「俺の考える最強の交響曲」みたいなのが、もう40代くらいには出来上がっていたと思う。
ブルックナーの交響曲は、すべて神様をたたえるための交響曲なんです。それを手を変え品を変え、同じことをやり続けようとした。だからみんな似てるんですよ。いや、似てるも何も、交響曲でやろうとしていることはつねに一緒で、その手法がちょっと違うだけ。
編集部M 神様を賛美するのなら、宗教曲でもいいわけじゃないですか。なぜそれを交響曲で?
広瀬 宗教曲は場所や日時など、演奏できるシチュエーションが割と限定的ですよね。演奏会用でも演奏できるような、宗教曲がようやく登場しはじめた頃です。ブルックナーは自分の神様賛美を普通のコンサート会場でも聴いてほしかったのかもしれませんね。
そのことは、ブルックナーが交響曲を献呈する相手に現れていますね。相手がどんどん大きくなるんですよ。「第7番」はあのバイエルン国王、ルートヴィヒ二世、「第8番」はハプスブルク皇帝フランツ=ヨーゼフ1世、そして「第9番」はついに神! ふつう神様に献呈とかしないんですけど、最後の最後でついに愛する神様へたどり着きました。
ブルックナー:交響曲第9番
編集部K 考えてみたら、大きなものに向かっていくのって、ちょっと田舎マインド的かも。
広瀬 そう。だから彼は、ウィーンに住んでもまったく都会に染まらなかったんですよね。火事だ!ってなると、いてもたってもいられなくて、つい見に行っちゃう。
編集部K ああ、それも田舎マインド!
編集部M あの肖像の表情も「ぜんぶ別にふつーのことですけど」って言ってるように見えてくる。
広瀬 40歳過ぎにウィーンに出てきて、その後、死ぬまで変わらなかったブルックナーの田舎マインドは、時によっては周囲のひととの摩擦を生みますが、本当の意味でこのひとを憎んだひとはいなかったような気がします。冒頭にご紹介した変態エピソードの数々も、ウィーンという洗練された都会に住むひとたちからは、愛すべき「田舎もの」の振る舞い、と見えていたかもしれないですね。
ブルックナーが交響曲で伝えようとしたメッセージの「変わらなさ」っていうのは、「第3番」と「第9番」の冒頭を聴き比べると顕著です。20年以上の開きがある作品ですが。
ちょっと聴いてみましょう。これは「第3番」。最初はザワザワしている。いわゆる「原始の霧」と呼ばれる、ファンがありがたく聴くところ……神秘の中から神様が出てきそうな……これが大体1分くらい続く。
編集部M この1分で挫折しそう。
広瀬 はい、第1主題、神様登場! これも聴きようによってはやっぱりダサいかも(笑)。
次に「第9番」。ブルックナーはすでに巨匠となっています。「第7番」はすごく成功したし、「第8番」もよく演奏され、ウィーンからも表彰され、晩年は割と恵まれています。みんなが、あのひと、田舎ものでちょっとヘンだけどすごいよね、って気づいた頃に作られた、最後の交響曲の冒頭。
編集部K 「第3番」と同じ……ニ短調だし……長い。
広瀬 2分30秒、まだです、まだです、いよいよです!(第1主題が出て)はい、神様でました! かっこいい! ダサい! クドいかな……(笑)。
編集部K 長い……でもその時間をかけないといけないんですね。
飯田 このあとの第2、第3主題も長い。この、たっぷり時間をかけたいというマインドはなんなのでしょうね?
広瀬 19世紀後半の人たちはみんな時間をかけたいんですよ。マーラー、ワーグナーも含め、その楽曲はとりわけ長い。ひと世代、2世代前の作曲家に比べて、それだけ伝えたいメッセージがあふれてる。しかも「俺の音楽を聴け」なひとたちなので、10分以内に収めないとみんな飽きちゃうかもとか、そんなことを考えもしない。
飯田 現代は、その対極にある時代かもしれないですよね。TikTokとかは最初の10秒で心掴まなきゃダメ、みたいな世界。広瀬先生は現代を生きていながら、19世紀の人たちの時間感覚も持ち合わせている感じが羨ましいです。
編集部M 普段から気が長いほうですか?
広瀬 そうでもないですよ。メールが来たらすぐ返したい。SNS見てはすぐ「いいね」しちゃうし(笑)。
編集部K 広瀬先生から「ダサい」が連発されました。それでも聴きたくなるというのは、一体どうしてなのでしょう。
広瀬 大管弦楽であの旋律が演奏されると、なんだかとてつもないパワーに持ってかれちゃうんですよね。ホールでバーンと鳴り響くと「すごいものを聴いている」という気持ちになる。
飯田 となると、ブルックナーは音圧、大管弦楽だからこそ可能になる音圧を、音楽の重要な要素として扱ったといえるでしょうか。小さいスピーカーとかで聴いたら味わえない音圧。ブルックナーはやっぱり生で聴かないと意味がない?
広瀬 意味がないとは言えないけど、やっぱり生で聴いてほしい。まぁ大きな音で聴いたところで、ダサいはダサい(笑)。
編集部M 私は正直、「ダサい」とすら思わなかった。何も響かない、無だった。「ダサさ」を感じにいくと思えば……。
広瀬 むしろ第一歩ですね!
編集部M 愛の反対は無関心ですからね。「ダサいかも」という関心を持つだけで第一歩。
広瀬 こんな結論で大丈夫なんだろうか(笑)。
編集部M まずは音圧を感じてみたいと思えましたし、3つの主題がブツブツつながると知ったので、迷子にならずに済みそうです。
広瀬 オルガンのストップ(音栓)を抜き差しするような感じで、音色を変え、音楽を切り替えたのでは、というひともいますよね。たしかに、ブルックナーの作曲の発想の根底にオルガンがあるのだとすれば、主題同士のつながりがブチっと切れてしまう理由もわからなくはない気がします。
最後に、私がブルックナーの頂点、最高傑作だと思っている「交響曲第5番」の第4楽章を少し紹介します。この楽章には二重フーガが出てきます。この楽章には、主要な主題が3つどころか4つあるんですよ。そして展開部では、第1主題と、第4主題が絡み合うフーガ。第1主題は相変わらずダサい。でも第4主題はとても宗教的なコラール主題。金管楽器が美しく奏でる。その2つの主題がちゃんと組み合わされるせられるように、はじめから設計されているんです。最後のコーダでも両方が合わさり、さらに第1楽章の第1主題まで加わって、大伽藍! 神様万歳! 大号泣!
編集部K 、M:聴いてみたくなってきちゃった!