文化芸術分野のダメージも計り知れない。3月から5月末にかけて、イベントキャンセルのもたらす損失は2億5000万ユーロ(約300億円)にのぼる(レゼコー誌Webサイト/3月11日)と報じられたが、これはフランスで1000人以上の集会が禁じられた折の情報である。
13日には100人以上の集会が禁止となり、ルーブル美術館やエッフェル塔など観光名所も閉鎖。16日には無期限での移動制限という措置までに至ったからには、この損失額はさらに拡大されるだろう。
リステール文化相(自身もコロナウイルスに感染)は18日、「我が国が直面する未曾有の危機は、文化へ従事する人々に大きな打撃を与えた。私たちは彼らの生活を保障するために、あらゆる手段を尽くさなければならない。かかっているのは、私たちの文化モデルの将来である」と声明し、文化セクターの機関においても、雇用者が一時休暇制度を実施する際の手続きの簡略化と強化、社会保障料の支払いの延期などの支援策を明らかにした。
各分野に支給される連帯基金について、音楽分野には、第1段階として1000万ユーロ(約12億円)の予算を提示し、3月のイベントチケット販売の税金徴収は中止された。
しかし、もっとも窮地に立たされているのはフリーランス音楽家である。
芸術大国フランスには、〈アンテルミタン・デュ・スペクタクル〉(以下、アンテルミタン)というフリーランスの舞台芸術関係者を保護する制度がある。これは1950年代に映画の分野で始まり、追って他の芸術分野にも広がっていった。
俳優やオーケストラのエキストラ、オペラ公演の衣装係など、短期の契約を繰り返しながら、舞台芸術の仕事に従事する人を対象とし、10か月間の間に、最低507時間の仕事に従事すると、翌年は契約が途切れた期間に失業手当が支払われ、毎月最低限の収入が保証されるシステムである。
授業時間数に制限があるが、教授活動と並行することも可能だ。仕事が順調なら、ある程度まとまったオフ期間を調整することもできる。また、アンテルミタンの資格を数年間更新できれば、安定の実績として、銀行から住宅ローンの融資を受けることもできるという。
世界唯一のシステムとして、フランス文化の中で擁護されてきたアンテルミタン制度。しかし、オーケストラ奏者や音楽院の講師のように、一定の雇用者を持たない彼らの立場は、このような前代未聞の状況の中、どうなっていくのだろうか。
フランスでアンテルミタンの資格を持ち、ホルン奏者、ボルドー地方音楽院教授、指揮者、作曲家、プロデューサー……と幅広く活動する根本雄伯さんにお話を伺った。
フランスで多角的な活動を繰り広げている根本さんは、アンテルミタンの現状についても詳しい。
「アンテルミタンには、前年の実績をベースに失業手当が給付されるので、今すぐ収入がゼロになることはありません。日本のフリーランスの方々に比べたら恵まれています。
しかし、この制度の資格条件となるのは10か月間で最低507時間の労働に従事することですから、現在のように公演もリハーサルもできない状態では、来年度アンテルミタンの資格を更新したくても、今年度の労働時間がクリアできず、条件を満たせないアンテルミタンが出てくるのは必須です。
クラシック音楽の奏者は、507時間を大きく超えた仕事をしている人がほとんどなので、問題はないようですが、一番困っているのが劇場関係の技術者だと聞いています。
文化省は救済策として、更新期に差し掛かったアンテルミタンは、百人以上の集会が禁止になった時から仕事の再開まで、更新手続きを延長できること、その期間も失業手当が支給されることを明らかにしました。失った仕事で支払われるはずだったギャラの補償に関しては、今の段階では言及されていません」
芸術家を保護するためのフランス独自の制度だが、仕事休止期間に失業手当が給付されるというシステムは、今まで何度も論争の種になってきた。
「アンテルミタンの制度自体にも問題があるのは確かです。
一例ですが、テレビ局が一年間カメラマンを雇う際、正式雇用、あるいは長期契約雇用せずにアンテルミタンとして雇い、人件費を安く抑えるケース。これは制度の悪用です。しかし、政治的権力を持つテレビ局を批判するのは難しい。
従って、改革するべきところは改革されず、生活のために真にアンテルミタン制度を必要とするアーティストに批判が向けられるのです。このままではアンテルミタン制度の存続は危ういと感じます」
かつてピエール・ブーレーズが名手の集団「アンサンブル・アンテルコンテンポラン」を設立したとき、彼がどうしても譲歩しなかった点は、奏者たちに定収入が保証されることだったという。メンバーを安定させ、質の高い演奏をキープするために、不可欠な条件と考えたのだ。
一方で、文化大国のはずのフランスでも、一般的には音楽家が職業として認識されていないと感じることが少なからずある。筆者も、ピアノの生徒の親から「あなたの本当の職業は何ですか」と訊ねられた経験は、一度や二度ではない。
根本さんは、自ら芸術監督を務める音楽祭での経験を話してくれた。
「市長を務めるような人も、音楽祭の意義を『地方の活性化』としては認めても、音楽そのものに興味を持つ人は少ないのが現実です。芸術家は優遇されすぎていると不満を持つ人もいます。まだフランスでは、国レベルで文化が守られていますが、この伝統も失われつつあるのかもしれません。
今のような時こそ、ひとりひとりの音楽家が自分を磨き、社会における文化の大切さ、その存続について考えていくべきではないでしょうか」
現在フランスの病院では、医療に携わる人々が眠る間もなく苛酷な日々を送っている。音楽は命を救うことはできないが、魂を救うことはできる。そして多くの演奏家は、さまざまな方法で音楽を届けようと熱意を燃やし続けている。パンデミックが終結したとき、音楽の力、生演奏の音色は、打撃を受けた社会を立て直す原動力となるに違いない。