『461 Ocean Boulevard』は比較的地味なアルバムです。そして初来日したクラプトンは日本の多くのファンが期待していたエレクトリック・ギターの神様とは異なったオーラを発していました。武道館の大きな舞台に登場した彼はアクースティック・ギターを抱え、コンサートの前半は座って静かに演奏したのです。
当時の日本ではロックのコンサートでもお客さんの反応は驚くほどおとなしいものでした。ロンドンのことしか知らないぼくは相当違和感がありましたが、エリック・クラプトンのこの予想しない展開にはファンもどう反応していいか戸惑いがあったかもしれません。もちろん拍手はするけれど、会場はかなり静かな雰囲気でした。
短い休憩を挟んでバンド全員で再登場すると演奏は突然ロックのノリに変わり、客席の反応も一転して大騒ぎ。予想できたことではありますが、前半との落差にエリック・クラプトンも驚いたに違いありません。
うろ覚えなのですが、最後は「レイラ」だったと思います。その後の大喝采はすごいものでした、しばらくしてアンコールのために戻ってきたクラプトンはしぶしぶやるよという感じで、”you don’t f***ing deserve it”という一生忘れないせりふを言い放ちました。おそらく本人としては前半はせっかく親密な感じでアクースティック・セットをやったのにロックでしか盛り上がらない観客が嫌だったのかもしれません。
初来日で、日本のファンの特徴もまだつかめていなかったし、当時のファンも洋楽のコンサートでどのように振る舞うのが向こうのミュージシャンに好まれるかも理解していなかった時代でした。海外のミュージシャンから何度も「日本のお客さんはすごく静かだからなんだか受けていない感じだ」といった戸惑いのコメントを聞いたものです。また、立ち上がりたくでも、特に武道館のような大きい会場では警備が厳しくてすぐに「座れ」と言われるのが常でした。何度か反発したものの、そうすると自分も周りも白けてしまうので後味の悪いものになってしまいます。
当時のエリック・クラプトンは、ヘロインを絶ったのですが、今度は極度のアルコール依存症に陥っていました。1975年、2度目の来日の際にインタヴューの通訳として会いましたが、ひどく幻滅してしまったのを覚えています。
その後しばらく彼のアルバムを積極的に聴こうとせず、特に80年代の作品には魅力を感じませんでした。でも、今も後悔しているのは1991年のジョージ・ハリスンの来日公演を見逃したことです。後からライヴ・アルバムを聴いた時に、クラプトンの冴えまくっているギターに痺れました。彼が酒をやめたことをその瞬間に悟ったのです。そしてその後から本調子を取り戻し、「アンプラグド」で新たなファン層を獲得し、良作を出し続けています。
その後のライヴもほぼ見ています。デレク・トラックスをゲストに迎えた2007年のツアー、2011年のスティーヴ・ウィンウッドとの連名公演などが特に印象的でしたが、「サンキュー」しか言わない彼がギターで訴えてくれる限り足を運びます。