フォーレは弾き手の高度な感受性を養う

大向こうを唸らせるような派手な作品は少ないですし、実のところ複雑な書法の細やかさなどのため、記憶するにはかなりの危険を伴うということが、音大の試験やコンクールなどでなかなか弾かれない理由だと思います。しかし、それらの作品に向き合うことで、ハーモニーに対する極めて繊細で高度な感受性を養うこともできるように思います。

一音一音をたどりながら,それらの曲が自らの裡に構築されていくとき、見えてくるものは、その時点での弾き手の音楽的な力によって異なります。とくに後期の作品では、そういった傾向が強いように思います。しかし、極めて限られた数の音による、老練でしたたかな設えの音楽が見えてくる喜び(!)は、たとえようもないものです。

日本を代表するフォーレの演奏家、井上二葉先生が、93歳にして行なった昨年(2023年)のリサイタルは奇跡のような時間でした。それは生涯をかけて真摯にフォーレを演奏されてきた先生だからこそ到達された境地でした。と同時にフォーレという作曲家の精神性の高さをも表す時間だったように思います。先生の厳しい探究の前で、常に毅然と揺るがない音楽は、いわば絶対に「裏切らない」音楽ではないか、と感じたのでした。

かつてただのサロン音楽家と揶揄されて、フォーレが軽く見られていた時代は終わったと思います。ごく初期の少し甘めの作品にさえ、実は高度の洗練と純度が極めて自然な流れの上に在るのです。