ついに実現したインバルによる意欲的なプログラムのコンサート、という背景を忘れたとしても、聴けば自分が何か異空間につながる扉を開けてしまったのに気づくだろう。晴れ上がった東京・上野のにぎわいとは別の世界が待ちかまえていた。ラフマニノフの《死の島》で扉は開く。あ、舟がゆれていると感じるのがきっかけだ。作曲者は元になったベックリンの絵を直接見ないまま作曲したというが、ゆれ動くうち近づいてはならない島がどんどん大きくなっていく。
扉を開けた先にショスタコーヴィチの暗鬱な「交響曲第13番」が口を開けていた。エフトゥシェンコの詩を歌うバスのシュカルパは明るく艶のある声だし、エストニアの合唱団も明朗に歌う。東京都交響楽団だって、金管楽器の朗々とした響きが浮き上がらない明快な演奏をした。だからこそ異空間がこわかったに違いない。インバルが棒をおろし、静かに全曲が終ったあと、60年以上前に作られた交響曲に描かれた暗鬱な異空間が、いまいるこの世界なのだと知る。どうしていいかわからない。
歌のオペラの最高峰というべきベッリーニ《ノルマ》がウィーンに姿を現わした。謝肉祭の季節の6日後にはオペラ座舞踏会を控えたウィーン国立歌劇場での、今シーズンいちばんの話題の上演のプレミエだから、歌劇場は華やいでいた。
もっと華やいでいたのは舞台で、注目のフェデリカ・ロンバルディが「清らかな女神」を申し分のない美声と申し分のないテクニックで歌った時には、劇場全体が陶然となる。支える、というより先頭に立ってイタリアの歌のオペラの流麗さを実現したのは指揮のミケーレ・マリオッティとウィーンのオーケストラだった。
ヴァシリーサ・ベルジャンスカヤのアダルジーザは絶妙で、特別なオペラの特別な上演になった。
夢のような、イタリアの歌のオペラが実現した《ノルマ》のあと、まさかまるで違う、現代の《ノルマ》を聴くことになるとは、実は期待していたのだけれど、思わなかった。
アスミク・グリゴリアンのノルマは平和や穏やかな歌の芸術なんか目ざさない。舞台となったガリアの森ならぬ彫像製造工場は、戦争の危機をはらんでいる。
ノルマは女戦士でもあった。そのドラマティックな歌唱は、聴く者を楽しませるというより有無を言わさず感動に引きずり込む。。《ノルマ》がその後のロマン派オペラも及ばないドラマティックな舞台芸術として現れた。
強力なフランチェスコ・ランツィロッタの指揮やアイグル・アクメチーナのこれまた力強いアダルジーザ、そしてヴァシリー・バルカトフの積極的な演出は、緊迫したままオペラを進める。終って会場の熱狂に包まれ、ようやく息がつける《ノルマ》だった。