大学に入ると、ここから専門的にイタリアオペラを学ぶんですよね。声楽は大学受験前から、テノールの父、世界の歌劇場で活躍してきた市原多朗先生、東京藝術大学名誉教授でバリトンの直野資先生、藤原歌劇団総監督でバスの岡山廣幸先生に師事。声楽科男子の場合はストレートで入学している学生が少なくて、周りの年上の同級生が「成熟した声」を得ていくなか、「僕も早くおじさんになりたい!」と思いながら10代後半を過ごしていました(笑)。ただ、舞台に立ちたいという目標はしっかりあったので、焦ってはいませんでした。
その舞台については、高校生のとき、新国立劇場で《ローベルト・シュトルツの青春》というウィーンに実在した作曲家の人生を描いたオペレッタでデビューし、大学入学後も何作ものオペレッタに出演しました。オペラは基本的にセリフがなく、イタリア語やドイツ語などの原語歌唱が一般ですが、オペレッタは母国語で上演されることが多く、セリフ、ときにはダンスもあります。歌手もオーケストラもマイクは使用しないというだけで、まさにミュージカルの原型なんですよね。
オペラだけを学んでいると、日本語で歌うことが実は外国語より後回しになるけれど、オペレッタへの出演のおかげで、日本語歌唱のアプローチや芝居心と向き合うことができたんです。自分が発した言葉をお客さんがリアルタイムにキャッチするという経験は、今のミュージカルの仕事にも活きています。
本格的なオペラデビューは、大学2年生のときでした。きっかけは不思議な縁で、ある日、大学の正門前で「君、万里生くんだよね?」って、声をかけられたんです。振り向くとNHK交響楽団で長年正指揮者を務められていた若杉弘先生! 若杉先生は父と親しかったので、僕が芸大の声楽科に入ったことを知っていたんです。「君があの小さかった万里生くんか」と驚かれて、ご自身の中で何かが閃いたようで、「あのさ、君にぴったりな役がある。ぜひ出演してほしい」と。
そして、《欲望という名の電車》のヤングコレクター役で、オペラデビューしました。アンドレ・プレヴィンが作曲した英語オペラの名作で、演出家は文学座の鵜山仁さん。アメリカの話だから、それまでやってきたイタリアオペラとはまったく違うけれど、ジャズや近代音楽のオーケストレーションがすごくおもしろくて! そのときスタンリー・コワルスキー役を演じた宮本益光さんは、今も僕の憧れの方です。
アンドレ・プレヴィン《欲望という名の電車》
一方、現在の僕のメインの仕事である「ミュージカル」は、実は大学に入るまでほとんど観劇していなかったんです。そんなとき、声楽科の同級生・中井智彦さん(のちに劇団四季で活躍)が企画した芸祭のコンサートで、ミュージカルナンバーを歌いました。それをたまたま客席で観てくださっていた劇団四季さんからお手紙をいただいて、多くの作品を観るようになったんです。
ただ、当時の僕は、100%オペラを勉強するつもりだったから、楽しく映画を観るような感覚で観劇してましたね。20歳までのクラシックオンリーの時代は、今の自分の「核」になっていると思います。