アリアに見る《マタイ》《ヨハネ》の性格の違い

音楽的な構成も、両福音書の違いに応じている。《マタイ》では新しく作詞されたテクストによるアリアが比較的多く(15曲)、また内省的で印象に残る曲が多いが、これは『マタイによる福音書』が「瞑想的」(鈴木雅明氏)であることに由来する。受難曲におけるアリアは、目の前で起こっている出来事の意味を考える役目を負っているが、《マタイ》にはそのような省察的なシーンが多いのだ。

一方《ヨハネ》は、繰り返しになるが教理を提示することが目的なので、あまり省察的なシーンはない。だからアリアは少なめで(8曲)、合唱やコラールが多くなる。葛藤が少ない分、ドラマの展開も速い。「光」と「闇」、「天」と「地」、「神」と「人間」といった正反対のものが対比されるのも特徴で、コントラストに富んで劇的である。

両者の性格の違いがわかる代表的なアリアを挙げよう。ペテロが、囚われたイエスに巻き込まれることを恐れて、イエスを知らないと3度否定する有名な「ペテロの否認」の場面に続くアリアである。

レンブラント『聖ペテロの否認』

マタイ》では、ペテロの弱さに寄り添う〈憐れみたまえ〉という美しいアリアが続くのに対し、《ヨハネ》では、ペテロが罪を悔いる厳しいアリア〈ああ、我が心よ〉が歌われるのである。

《マタイ受難曲》より〈憐れみたまえ〉

《ヨハネ受難曲》より〈ああ、我が心よ〉

《マタイ》と《ヨハネ》の違い。それは結局、福音書のメッセージの違いからきている。バッハはあくまで、それに忠実に作曲しているのである。

加藤浩子
加藤浩子 音楽物書き

東京生まれ。慶應義塾大学文学部卒業、同大学院博士課程満期退学(音楽史専攻)。音楽物書き。主にバッハを中心とする古楽およびオペラについて執筆、講演活動を行う。オンライン...