個人的な好みで恐縮だが、筆者は《マタイ受難曲》より《ロ短調ミサ曲》の方が好きである。その理由の一つは、受難のドラマを描く前者に比べ、後者の方がより音楽として抽象的で、純度が高い点にもあると思う。「音楽」としてより純粋に楽しめるのだ。
毎年6月にバッハの街ライプツィヒで開催されている「ライプツィヒ・バッハ音楽祭」では、10日前後の会期を締めくくる聖トーマス教会におけるファイナルコンサートで、必ず《ロ短調ミサ曲》が演奏される。つまり《ロ短調》は、音楽祭を締めくくるに相応しい作品だと位置付けられているのである。演奏団体は毎年変わるが、世界を代表するバッハ演奏団体が登場するのが常だ。
コロナ禍前までほぼ20年、バッハ音楽祭に通ってファイナルを聴き、心震える名演に何度も出会ってきた。飛翔するような合唱と有名ソリスト陣の名技で堪能させてくれたヘレヴェッヘ、スーパーソリスト合唱団と呼びたくなる精確誠実な合唱に痺れたヘンゲルブロック、宗教音楽と言いながらバロックの官能性を前面に押し出したクリスティ、思い切りよくオペラティックだったガーディナー、澄んだ合唱に心洗われたエリック・エリクソンなど、思い出されるだけでもキリがない。
本年、2023年のファイナルコンサートには、日本が誇るバッハ演奏団体であるバッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)が、創設者でもある鈴木雅明の指揮で《ロ短調ミサ曲》を演奏した。鈴木とBCJはバッハ音楽祭の常連で、2012年には聖トーマス教会で《マタイ》も演奏しているが、ファイナルの《ロ短調》は初登場。日本の団体としてはもちろん、非ヨーロッパの団体で初めてという快挙である。
整ったディクション(発語法)に支えられた精度の高さと、開放的で明るい音色を持つ合唱は、鈴木とBCJの強力な武器。音楽はイン・テンポ(正確なテンポ)でキビキビと進み、時間と共に白熱して、バッハの音楽が内包する音楽そのものの歓び、神への賛美の歓びが炸裂する。器楽奏者たちのソロ・オブリガート(助奏)も美しく、特にオーボエの三宮正満の甘く豊潤な音は際立った。終演後はスタンディング・オべーションとなり、熱狂的な拍手が続いた。国境を越え、時代を超えるバッハの音楽の普遍性を目撃した、貴重な一夜となったのだった。