彼の代表作は、なんといっても、《静寂(しじま)の音楽》全4集だろう。タイトル「Musica callada」は、16世紀のキリスト教神秘主義詩人、十字架の聖ヨハネ(1542〜1591)の詩句からとられている。楽譜の序文にも「この意味はスペイン語以外では表現がむずかしい」と言っているとおり、「callada(「callarse=口を噤む、しゃべらない」の過去分詞=形容詞形)」のぴったりした対応語は他言語にはないので翻訳がむずかしい。従来「沈黙の」とか「ひそやかな」と訳されてきたが、私は「静寂(しじま)の」と訳すのが相対的にふさわしいと考えている。
1952年から書き始められたのだが、まさに同年にジョン・ケージの「沈黙の作品」《4分33秒》が発表されているのが興味深い。ケージの「沈黙」には、周囲のさまざまな音や、さらには美学や哲学までが充溢しているが、モンポウの「静寂」にはそのようなものはない。ただ「だまって(callarse)」、自らの「鳴り響く孤独」(十字架の聖ヨハネ)に耳をすましているだけだ。
全28曲から成る。第1番はグレゴリオ聖歌を思わせる。
▼モンポウ《静寂の音楽》~第1番
第3番はスペイン国営放送のジングルとして使用された。
▼モンポウ《静寂の音楽》~第3番
第5番は彼が幼少時より聞いていた、母方の鐘鋳造工場の鐘の響きを思わせる(第13番、第21番も)。
▼モンポウ《静寂の音楽》~第5番
第15番はショパン風である。
▼モンポウ《静寂の音楽》~第15番
第16番は吹き抜ける一陣の風であり、第10番・第19番・第20番・第22番などは、いかにもモンポウらしい、微妙にずらした(「落ちる」感覚の)和音の妙味が聴かれる。
▼モンポウ《静寂の音楽》~第16番、第10番、第19番、第20番、第22番
第25番は、ピアニスト・批評家のアントニオ・イグレシアスによれば「ほとんど十二音技法になっている」が、モンポウ自身は「まだ歌っている」と述べている。
▼モンポウ《静寂の音楽》~第25番
最後の第28番はまさに静寂の「白い」ハ長調である。
▼モンポウ《静寂の音楽》~第28番
最初に出版された作品は《魔法の歌》だが、公刊されたなかで作曲時期がもっとも早いのが《内密な印象》である。全9曲から成る。最初の4曲は無題だが、元来は「嘆き」と題されていた。第1番は1911年、18歳のときの作品である。以下、〈悲しき鳥〉、〈小舟〉、〈子守唄〉、〈秘密〉、〈ジプシー〉と続く。モンポウのスタイルは驚くべきことに、このような初期から完成されており、一生涯ほとんど変わらなかった。1978年、85歳のときのニューヨーク公演で、彼はこの曲集の〈悲しき鳥〉を演奏している。
▼モンポウ《内密な印象》
《ショパンの主題による変奏曲》は、1938年から1957年にかけて書かれ、1963年に初演された。最初はチェリストのガスパール・カサドからの依頼で書き始めたのだが、うまくいかず、後年に再び取り上げ完成させた。主題はショパン《前奏曲》第7番イ長調(よく知られた太田胃散コマーシャルのテーマである)。10曲の変奏と〈喚起〉、〈ギャロップとエピローグ〉から成る。もとの主題から、いかに変幻自在、多種多様な音楽を引き出すことができるか、モンポウの想像力は無限と言ってもよい。〈喚起〉は、思い出の想起という意味で、ショパン《幻想即興曲》中間部のこだまが聞こえ、「フレデリック2世」モンポウからの「フレデリック1世」ショパンへの見事な、しかし憂愁に満ちたオマージュとなっている。
▼モンポウ《ショパンの主題による変奏曲》
《歌と踊り》のシリーズは全15曲。大部分はカタルーニャ民謡に取材しており、ゆっくりした、メロディアスな「歌」と、リズムカルで、活発な「踊り」を組み合わせている。オススメは第1番(いかにもカタルーニャ的な、いっぷう変わった旋法性をもつ旋律と、それを支える、これまた長調でもなく短調でもない和声)、もっとも知られた第6番(モンポウのオリジナルの、ロマンティックな「歌」と、カリブ的なリズムの「踊り」。ミケランジェリも演奏している)、第9番(フランスに行く鶯を歌った民謡《鶯》にもとづく「歌」と創作主題の「踊り」、モンポウはフランスに残していた愛人を想っていたのではないだろうか)など。
▼モンポウ《歌と踊り》~第1番、第6番、第9番
そのほか歌曲ならば《夢の戦い》、ギターならば《コンポステラ組曲》、バレエ音楽なら《ドン・ペルリンプリン》など。
▼モンポウ《夢の戦い》《コンポステラ組曲》《ドン・ペルリンプリン》
▼モンポウ《コンポステラ組曲》
▼モンポウ《ドン・ペルリンプリン》
椎名亮輔 著
寡黙で、控えめな、しかし魅力に満ちた音詩―――とても少ない音の数で、絶妙な音の繋げ具合を紡ぎ出し、単純なつくりのピアノ小品や歌曲を書いたスペインの作曲家、フェデリコ・モンポウ(1893~1987)の生涯と作品解説を豊富な図版とともにまとめた本格評伝。
カタルーニャの都バルセロナに生まれ、海に親しみ、鐘の音を聴いて育った思索的な青年は、ピアニストとして注目を集めるもパリで作曲家として開花。フォーレやラヴェル、サティ、六人組からインスピレーションを受けつつ独自の音楽を追求。各界から称賛され、パリ社交界でもてはやされるが、深いスランプに陥ってしまう。しかし、その数十年後には「再出発」が待っていた。
グラナドス、ファリャ、ラローチャ、ビニェス、セゴビア、ヴァレリー、ピカソ、ストラヴィンスキーといった同時代の音楽家・文化人との交流、そして、禁断の恋愛……彼が作り出した「静寂の調べ」の背景にあるものとは?