ピアノの音色の変化は「錯覚」なのか?

務川 ピアノという楽器は、音量を固定したら、音色は変えることができない楽器だと、僕は思っています。

田所 こう堂々と言い切れる務川くんって、すごいと思うんです。確かに「変えられない」と考えてみることで、可能性が広がるという部分もひじょうにあるのです。

務川くんは古楽器も学んでいるけれど、基本的に音量の幅が変わらないクラヴサンでも、自由に変化に富んだ演奏をすることは可能ですよね。彼の音楽の個性の秘密は、ここにもあるのではないかと思います。でも僕は、音色自体も「変えられる」と今も思っているけれど。

務川 これは2つの流派に分かれることだよね。僕がパリ音楽院で師事していたフランク・ブラレイ先生も、ほぼ「変えられない」派でね、それが僕には合っていたかな。でも、突き詰めてやっていって、音楽が様になっていれば、僕はどちらでもいいと思う。

——務川さんのリサイタルをパリで聴かせていただいたとき、緻密な音楽の構築に交錯する色彩感が圧倒的でした。鋭敏な耳があってこそなせる技だと感じました。

田所 そう、務川くんの音色は変幻自在に聞こえるよ。

務川 でもそれは僕の中では、あくまでもすべてが錯覚だと思っていて。たとえばだけど、やさしい感情を表現したいときは、和音の中でソプラノの音量を減らすことで、和音の輪郭が柔らいで聞こえるようにする、とか。もちろん、そうしたことの組み合わせ次第で、表現の幅は無限だけれど、僕の中では噛み砕くと、結局それらは個々の音の音量とタイミングの変化の組み合わせでしかない。

田所 「錯覚」か……。確かに、タッチの深浅や打鍵の速度で音色が変化するというのは、もしかしたら本当はイメージによる部分も大きく、それを信じすぎていると、実際に音となったときに聴く人に伝わっていないのかも……と思うこともあるのです。

たとえば、本来ピアノという楽器では不可能である「長い音」をクレッシェンドし続けたいときなど、頭の中では膨らんでいても、実際の音はどうしても減衰している。自分の思い描く音を、どうすれば聴衆にも同じように感じとっていただけるか、普段から考え続けています。

こんな議論ができるのは、務川くんとだけですね。

船越清佳
船越清佳 ピアニスト・音楽ライター

岡山市出身。京都市立堀川音楽高校卒業後渡仏。リヨン国立高等音楽院卒。長年日本とヨーロッパで演奏活動を行ない、現在は「音楽の友」「ムジカノーヴァ」等に定期的に寄稿。多く...