左手のピアノ曲に名作が多い理由

ここまで語ると、左手のピアノ曲は、なぜ名作が揃ったのかという疑問がわくだろう。委嘱金が多かったというのもあるだろう。しかしそれだけではなく、委嘱者のヴィトゲンシュタイン自身がいわゆる”目利き”であったこともある。その背景には彼が近代ウィーンを代表する一家の出であることが関係する。左手のピアニストになることを勧めた弟は「論理哲学論考」の著者であり、20世紀哲学の巨人と言われるカール。姉妹のポートレートはグスタフ・クリムトが描いていたりする。一家のサロンには多くの著名人が出入りしていた。そして芸術を愛するだけではなく、近代オーストリア産業の立役者である父の商才を受けついでいたことも忘れてはいけない。

ヴィトゲンシュタイン家の写真(1917年、ウィーン)。左から2番目が左手のピアニストのパウル

楽曲としては、高度な演奏技術をふんだんに散りばめた楽曲が多くあることも注目すべき点だ。委嘱曲の多くは、その奏者が演奏できそうな範囲の技術が使われることが多々あるが、彼のために作曲された楽曲には容赦なく高度な演奏技術が盛り込まれている。ヴィトゲンシュタイン自身が、この制限を設けなかったようだ。作曲家が委嘱者の演奏技術を顧みないで、作曲家が書きたいように書けたこともプラスに働いている。

そしてなにより、戦争で片手を失いながらも、残された左手でピアノ演奏の新たな世界を作り上げようとしている姿に感動したのだろう。その姿に、徹底的に破壊し尽くされたヨーロッパの大地の復活を重ね合わせたとも考えられる。ヴィトゲンシュタインの姿と、それらの楽曲が持つ力強い躍動が、ヨーロッパ全土に感動を与えていった。少なくとも、これらの素晴らしい芸術性をもつ楽曲をみても分かるが、名だたる一流の作曲家たちを本気にさせたことは間違いない。

人が生きていく上でクラシック音楽の役割は?

私は、左手のピアノ音楽を「戦争に咲いた花」と例えている。音楽に助けられ支えられた傷痍兵であり、それを支えた作曲者たちの物語が、この左手のピアノ音楽を一つの演奏分野として独立させた。そしてこれらの音楽が、戦争に傷ついたヨーロッパの人々を励まし、心の平和に向けた復興の後押しをした。

左手のピアノ音楽が残した救いの軌跡は現代にも繋がる。これからの世が平和とは限らないだろう。人が生きていく上で、クラシック音楽の役割はなんだろうか。社会情勢や人の求める救いとの接点を見つめることが大切だろう。

我々音楽家一人ひとりが「求められる救いの音楽」の魅力を探してみてはいかがだろうか。その試みがクラシック音楽の再興につながるかもしれない。戦争が発端で刻まれた軌跡は、未来のクラシック音楽のあり方にも問いを投げかけているように思える。

智内威雄
智内威雄

東京音楽大学、ハノーファー音楽大学を卒業。留学中に国際コンクールに入賞受賞するが、右手に局所性ジストニアが発症する。03年より左手のピアニストとして活動を開始する。分...