モーリス·ラヴェル(1875-1937)はスペイン国境に接するフランスのシブールの生まれ。父親はスイス国籍、母親はスペインのバスク人の血を引くというユニークなルーツですが、生後3か月後には一家でパリに移り住んでいるので、ほぼパリジャンといえます。14歳でパリ音楽院に入学して若い頃から次々と傑作を生み出し、多方面の偉才たちとの出逢いによって自身の芸術を花開かせ、第一次世界大戦の混乱を挟んで、作曲家としてさまざまな分野に足跡を残しました。“教授”にとってもドビュッシーと並ぶ最重要作曲家であることは、『commmons: schola』をvol.3 Debussy編とvol.4 Ravel編で分けてそれぞれを独立させたことからも明白でしょう。
この曲はハイドンの没後100年にあたる1909年に、フランスの音楽雑誌『ルヴュ·ミュジカル』が企画した記念特集号のために書かれた作品で、ハイドンのアルファベットの綴りを音名に置き換えて得た主題を用いた手法がとられています。“教授”は『同』Ravel編で「じつはぼくには、これがほとんどビル·ヴァンスに聴こえるんですよ」と語っています。
こちらも音楽雑誌主催の作曲コンクールがきっかけとなって1903~1905年頃に書かれた曲で、端正な古典形式でありながら彼らしい明快な優美さに溢れた作品です。全3楽章からなり、流麗な第1楽章に続くこの第2楽章にも和声やリズムが変形しながら登場します。この曲を演奏するポイントとして“教授”は『同』Ravel編で「なるべくテンポを揺らさないで、もったいつけないで、さっさと弾いていくといいですね」と語っています。