さて、今回書きたいのはヴィオラ・ソナタについてだ。この曲は1975年7月、ショスタコーヴィチが世を去る直前に書かれ、没後に初演された、彼の一番最後の作品だ。緩急緩の3つの楽章を持ち、第2楽章は、ショスタコーヴィチが戦時中に書いていて未完に終わった歌劇《賭博師》が転用されていて、第3楽章は全編にわたってベートーヴェンの《月光》ソナタが現れるほか、15歳のときに書いた《2台のピアノのための組曲》という作品が何度か出てくる。ほかにも自作他作を問わず、いろいろな作品が引用されていることは以前から知られていた。
ところが、2006年になって、ピアニストのイヴァン・ソコロフという人が、「ショスタコーヴィチのヴィオラ・ソナタについて」(Moving towards an understanding of Shostakovich’s viola sonata)という論文を発表し、それまで(たぶん)誰も気づいていなかった、とんでもないことを指摘した。
この曲の終楽章には、ショスタコーヴィチの15の交響曲が全部引用されているというのだ。そんなアホな、そんな大規模な引用があれば絶対わかるはず、と思うだろう。だが、一度気づけば、これはもう明らかにそうとしか思えなくなる。そして、今まで誰も気づかなかったことが不思議になる。
15の交響曲の引用は第3楽章の第65小節から始まる。有名なユーリ・バシュメットとスヴャトスラフ・リヒテルの録音なら、6分5秒あたりからの部分がそうだ。
ここで、交響曲第1番~第15番の一部分が、第1番冒頭の4音に始まり、数珠つなぎになって全部出てくる。なお、大半の曲は冒頭部分の数音が採られているが、第2番は弦のもやもやのあとのトランペット、第11番は第3~5小節が使われている。ただ、第13番だけはよくわからなくて、第4楽章〈恐怖〉に似た部分があるが、ぴったり同じではない(気づいた方はご教示ください)。
なお、第1番から第12番まではすべてヴィオラ、第14番と第15番はピアノが弾く。すごいのは、これらがちゃんと自然なひとつながりの旋律になって聞こえることだ。だからこそ、初演から31年ものあいだ、誰にも見つけられなかったのだろうが、ショスタコーヴィチのアクロバティックな作曲の技にはつくづく恐れ入る。
さて、次に考えなければならないのは、ショスタコーヴィチがどのような意図で、どのような意味をこめてこのような自作引用を行ったかということだ。
当時のショスタコーヴィチは、この曲が彼の最後の作品となることを悟っていて、生涯を振り返る意味で15の交響曲を引用したのだろうということはなんとなくわかる。
ただ、それが、《月光》ソナタとか、《2台のピアノのための組曲》とどう関連づけられるのかは、想像するしかない。ちなみにこの《組曲》、めったに演奏されない作品だが、4つの楽章を持つなかなかの大作で、少年ショスタコーヴィチは、当初この曲を交響曲として完成するプランを持っていたらしい。
だとするとこれは、ショスタコーヴィチの交響曲第0番と言うべき作品ということになる。じゃあ、それが15の交響曲の引用とどう関係するのか。それはわからない。
ともあれ、ショスタコーヴィチが作品に仕込んだ裏メッセージの類いについては、もうすべて漁り尽くされたと思っている方がおられるかもしれないが、全然そんなことはなくて、作曲から31年も経って、こんな大規模な引用が発見されたりする。これは面白いことではないだろうか。
このことが示しているのは、われわれが知っているショスタコーヴィチの「秘密」は、まだ氷山の一角にすぎないということだからだ。どうやら、ショスタコーヴィチの秘密探しは、当分終わりそうにない。