歴史の見方が変わっていくと「現代音楽」という呼び名も変わる?

現代の音楽実践のなかにはさらに、中世・ルネサンス時代の古楽やインドネシアのガムラン音楽などの民族音楽、日本の伝統音楽も「現代的」な要素として入り込んできていますので、現在の音楽界は多様化がますます進むとともにさまざまに分岐し、主流と言えるスタイルがない状況になってきています。

このように音楽が国境や地域を超えて多様化し、さまざまに変容すると、以前のように「古典派」とか「ロマン派」という名称で括ることが難しくなってきます。古代と現代、東と西が交錯し、「グローバルサウス」(インドや南アフリカなど南半球の新興国)と「グローバルノース」(欧米の先進国)の文化が混じりあうようになっているのです。現在進行しつつあるこうした異種混淆の文化の時代を何と呼ぶのかは、さらに少し先の未来から見てみないと、わからないかもしれません。

ところで、近年「グローバル・ヒストリー」という考え方に世界中が注目するようになってきています。これは、これまでの西洋中心の歴史の見方ではなく、地球全体を包み込む幅広い視野で歴史を読み直し、世界の人々の繋がりや絡み合い、相互の影響関係を明らかにしようという気運から生まれてきました。こうした考え方から、高校教育にも「歴史総合」の授業があらたに設けられ、日本を含むアジアやアフリカ地域を含んだ総合的な近現代史の理解が求められようとしています。

現在はこのグローバル・ヒストリーの考え方を取り入れて、これまでの歴史を編み直し、更新する作業が始まったばかりの段階にあります。そうしたなかで、「現代」という時代をどこで区切るのかということも問題になるでしょうし、「現代音楽」という言葉の意味も変わっていくのではないかと私自身は考えています。

今はまさに歴史を見直し、新しい光を当てようとするプロセスの最中にあります。そうした時代を見守ることによって、私たちは今まさに大きく動きつつある歴史の証言者となることができるのではないでしょうか。

柿沼敏江
柿沼敏江 音楽学/音楽評論

カリフォルニア大学サンディエゴ校博士課程修了、PhD。専門はアメリカ実験音楽、20-21世紀音楽。著書に『アメリカ実験音楽は民族音楽だった』(フィルムアート、2005...