ルバートとは必要悪?

そして第2段階「ルバート」はある意味ではヴィルサラーゼ先生の言葉が正しく、作品のなかで使う機会はかなり稀です。主な用途としては音楽に「隙間」をつくるということです。例えば下記の譜例のような音楽では、前打音の存在がメロディの要素を壊してしまうことを避けるために、あるいは休符の存在を特別なものにするために、少しだけテンポを動かす余地があります。ここでの基本的な考え方は「必要な場所(だけ)に必要なだけ加える」というもので、多すぎたり少なすぎたりしては聴き手に違和感を与えることになってしまいます。つまり音楽がどこでルバートを求めているのかを正しく見極める必要があるのです。

譜例4
譜例5

第3段階「テンポの変更(テンポの軸そのものを変える)」にいたっては使える場面がさらに限定されます。

つまるところ音楽には、規定された「時間の許容枠」のようなものが存在するのです。それは音楽的要素によってつねに変化するわけですが、その範囲内での自由は「イントネーション」として必要とされています。その枠から逸脱するもの(「必要悪」とでも言えばよいでしょうか)は「ルバート 」と呼ばれ、その逸脱が過剰になるとまるで「秩序のない社会」のような不快感を生み出すということなのでしょう。常に考え続けていきたいものです。

ルバートの構造

とはいえ、いろいろ理屈をこねたところで最終的には「理論を超えた」もっとも自然な場所に到達しなければならないわけで、時を忘れるような霧島の自然の中を毎日てくてくと(日焼けしつつ)歩きながら、それはなによりも難しいことなのではないかと考えたのでした。

早朝に訪れた霧島神宮と、深夜に眺めた満天の星々(友人が撮影してくれました)

牛田智大
牛田智大

2018年第10回浜松国際ピアノコンクールにて第2位、併せてワルシャワ市長賞、聴衆賞を受賞。2019年第29回出光音楽賞受賞。1999年福島県いわき市生まれ。6歳まで...