――素敵ですね。でもこの曲は、聴き手にとっては、詩の言葉をどうしても追ってしまうところがあると思うんです。たとえば「禿頭をヴィオラの長い弓でこする」という詩句が出てきたら、え、何?って思いますよね(笑)。
小菅 全部がストーリーとしてつながっているわけではなくて、夢みたいなものだと思うんです。夢っていろんな場面がぐちゃぐちゃに出てきますよね。
これはもちろん詩ですから、ドイツ語としてもふだんこんな風には話さないですし(笑)、劇的に泣いたり笑ったり、あの時代の極端な表情が現れていると思います。
それぞれの曲の雰囲気と、愛とか、そういうエッセンスを音楽によって感じられればいいですね。ミヒャエラは女優でもありますから、彼女の表情を見るだけでも、すごく受けとれるものがあるのではないかと思います。
――いろんなピアニストの中で、小菅さんはとくに室内楽を大事にされている印象がありますし、なおかつ歌と共演する機会も多いですよね。
小菅 やはり音楽家――ピアニストではなくて音楽家――として、どのジャンルからもインスパイアされるものは大きいと思うんです。
もちろんコンチェルトだってオーケストラと弾いて、時には指揮者なしで弾いて、でも、それも室内楽の延長でもあります。
たとえばブラームスだったら、ピアノ・ソナタは初期しかないけれど、ヴァイオリンとチェロとクラリネットとのソナタは、ピアノが重要ですよね。レパートリー全体として見落とせないです。
今回のCMGでは、ドヴォルジャークのピアノ五重奏曲をエルサレム弦楽四重奏団と一緒に演奏しますけど、ロマン派を代表するピアノ五重奏曲は、ドヴォルジャークだけでなく、ブラームス、シューマン、どれもピアノがとても重要ですよね。
こんな素晴らしい作品は弾かなかったら勿体ないですよね。室内楽だからというだけではなくて、レパートリーとして……。
小菅 あとは、子どもの頃からトリオをやっていたことが大きいかもしれません。ドイツの方が日本よりたぶん、子どもの頃から同い年の子たちと一緒に弾いたりするチャンスが多いんです。
ピアノって、他の弦楽器や管楽器の音を出そうとしないと、オーケストラのようには弾けないです。そういうイメージは、室内楽をやっていないと具体的に湧かない。その意味でも、私にとって室内楽は大事です。