親しみやすいオペレッタの聖地として

特にオペレッタは、19世紀からウィーンで大流行し、現在でも親しまれている音楽で、とにかく笑いや風刺がふんだんに取り込まれています。

その火付け役としてオッフェンバックにはじまり、ヨハン・シュトラウス親子スッペ、そしてレハールなどの作曲家が、ウィーンで実際に自分たちのオペレッタを演奏し、オペレッタの聖地としてのウィーンの地位を不動のものとしました。

オペラよりもセリフが多く、オペレッタのストーリーに沿った内容のギャグを歌手や演者がアドリブで入れて、客席がドッと笑いに包まれる瞬間が何回かあるほどです。

ウィーン市立公園にある、有名なヨハン・シュトラウス2世の像。彼が作曲したオペレッタやポルカ、ワルツは、ウィーンと切っても切れない関係にあります。(撮影=筆者)

ウィーン・フォルクスオーパーは、このオペレッタを長年得意としています。1979年には海外のオーケストラによる初めてのオペレッタ公演として、ウィーン・フォルクスオーパーが初来日し、ヨハン・シュトラウス2世のオペレッタ《こうもり》を演奏したほどです。

こういった歴史もあり、ウィーン・フォルクスオーパーと日本の縁は、オペレッタによって繋がっているのです。

ウィーン・フォルクスオーパーにおける《こうもり》の舞台。シャンパンの泡がはじけるような華やかさをもつこの作品は、多くの人に愛され続け、ウィーンでは年末の風物詩となっています。© Barbara Pálffy/Volksoper Wien

19世紀ウィーンで大流行したポルカとワルツ

大晦日とお正月の3が日の4日間にわたり、ウィーン・フォルクスオーパー交響楽団によって演奏される曲目も、思わず体が動いてしまうような音楽に溢れています。

それもそのはず、曲目を見ていくと、ポルカやワルツと題された曲が多いですが、この2つはどちらも踊るための音楽。ウィーンをはじめとしたオーストリア各地では、毎年冬になると、実際にこれらの曲に合わせてみんなが踊ります!

ポルカはチェコが発祥の、19世紀から踊られるようになった音楽で、速いテンポが特徴です。「あれ?チェコってオーストリアとは違う国じゃない?」と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、当時のチェコは、オーストリア帝国の支配下だったので、実質オーストリアの一部だったのです。そして、これがウィーンで大流行したのです。

ポルカを踊る男女の絵。チェコ発祥のポルカがウィーンで大流行したことにも、歴史的背景が関係しています。

そしてワルツは、男性と女性が、ペアになってくるくるとまわって踊る音楽で、こちらもポルカと同様、19世紀からウィーンで大人気となります!