――彌勒さんと中山さんにも、アントネッロの独自性について、演奏の現場から感じることを教えていただけますか?
彌勒忠史(以下、彌勒) アントネッロの独自性イコール、濱田先生の音楽性だと思います。
例えば今回サントリー音楽賞を受賞されるきっかけになった理由のひとつが、ヘンデル「メサイア」の公演だったのですが、もう「メサイア」なんて、言ってしまえば手垢のついたもので、私自身も学生時代から数えることもできないくらい歌ってきました。
ところがアントネッロのリハーサルだと、そこにいたミュージシャン全員が「はーっ?」てなる瞬間が(笑)、もう3秒ごとにある。
何がすごいかと言うと、濱田先生のアイデアですね。奇異なことをしているのではなくて、とにかく新しくて、やられた感がすごい。これまで毎回「メサイア」を演奏してきて、これは当然こういうものだよねって思っているところを、ガラガラガラガラって、ゴジラ来襲みたいな感じで全部ぶっ壊されるんです。(笑)
ところがそこにきちんと典拠も論拠もある。それをしっかり示してくださるので、どんなに我々が今まで考えたこともなかったようなことでも、提出された瞬間に全員が納得するんです。
たとえば「ピファ」(「メサイア」第1部第13曲)のところに、バグパイプを模した素敵な牧歌的な風景が広がる瞬間があります。イタリアの宮廷のバンケットの記録などを読んでいてもバグパイプが使われていたことが出てくるので、クラシック音楽の中にバグパイプが出てきても全然おかしくないよなって、ずっと思っていたんです。
それで濱田先生のところの「メサイア」にでたら、やおらコンサートマスターがバグパイプをとり出して、ブワーッて空気を入れて「ボー」ってやり始めるから、そこにいた「メサイア」を知る全員の音楽家が、「ああ、やーらーれーたー!」(笑)。
素晴らしいアイデアですが、それを実現することへのプレッシャーや大変さというものは絶対あるんです。それでも、これはすごいことだからぜひやってみたいと思えるのが、アントネッロらしさなんじゃないかと思います。