壮絶な人生を歩んだレベッカ・クラークの作品には、音楽と精神の深みがある

林田 室内楽のコンサートで取り上げられる英国の女性作曲家レベッカ・クラーク(1886-1979)も、女性だということで周囲の圧力が相当大変だったみたいですね。

河村 考えなくてはいけないのは、どれくらい有難い地位に現在の私たち女性がいるかということですよね。対等であることが普通なのかもしれないけれど、それが当たり前でなかった時代がつい100年くらい前にあるんですから。

 

レベッカ・クラーク(1886-1979): イギリスの音楽家の家庭に生まれ、早くからヴァイオリンを習う。王立音楽大学でスタンフォードの最初の女性の作曲科学生の一人となる。スタンフォードにヴィオラへの転向を促され、父と仲たがいして学校を辞めさせられてからはヴィオラ奏者として身を立てることになる。室内楽ではシュナーベル、カザルス、ハイフェッツ、ティボーといった20世紀初頭の偉大なアーティストたちと共演。ロンドンのプロ・オーケストラの正規団員となった最初の女性の一人。ヴィオラ奏者兼作曲家として世界ツアーも行なった。アメリカの著名なパトロン、クーリッジ夫人による作曲コンクールで「ヴィオラ・ソナタ」がエルネスト・ブロッホとともに最終選考に残り、それが女性の作品とわかって審査員を驚かせた。1921年作曲の「ピアノ三重奏曲」は広く演奏され、今日では傑作とされている。ウィグモアホールを自作のみのコンサートで満員にできるほどの名声を得た。

山田 もっと知られてしかるべき女性作曲家は世界にたくさんいて、たとえば、この間私がイギリスでやったエセル・スマイス(1858-1944)は女性解放運動の活動家で、逮捕されたことがあったそうですね。そういう難しい時代を生き抜いて、音符を書いていった人がいる。

アルマ・マーラーだって旦那さんから作曲はダメだと言われていましたが、もしアルマがもっと曲を残していたらどんな曲だったか、それはそれで非常に興味深いですよね。志があってもなかなか状況が許さないというのは、悲しいかな女性のほうが歴史的に見て多い。そこに光を当てて、いい作品があって感動できて共有できればいい。

 

エセル・スマイス(1858-1944):プロフェッショナルな作曲家として生きるとともに、女性参政権獲得運動に身を投じ、入獄まで経験。その活動は指揮や文筆業にまでおよび、86年の生涯を独身で通した。
アルマ・マーラー(1879-1964):ツェムリンスキーのもとで作曲を勉強し、20歳ですでに100曲以上の歌曲他を残したが、グスタフ・マーラーと結婚後は作曲を禁じられ、夫の音楽活動を献身的に支えた。

河村 クラークは、独学のビーチと違って、ちゃんと勉強した人なんですよ。「ピアノ三重奏曲」はビーチが協奏曲を書いた20年後くらいに書かれているんですが、まったくスタイルが違う。ロマン派から飛び出していて、前衛的な感じですが、名曲です。

レベッカ・クラーク「ピアノ三重奏曲」(トラック1~3)

彼女の作品には、音楽と精神の深みがあると思うんですよ。父親からのハラスメントがすごく大きくて、それこそDVを受けた方で、人生の終わりで子どものころを思い出して本を書いたような人なので、そういう思いのこもった音楽が詰まっているんじゃないかなと思います。

いろんな作曲法を使っているけれど、スクリャービンのような後期ロマン派的な雰囲気もあれば、ショスタコーヴィチとかプロコフィエフのような現代的な雰囲気もあります。

林田 室内楽の日は、矢代秋雄の「ピアノ・ソナタ」のあとにクラークの「ピアノ三重奏曲」で、シューマンの「ピアノ五重奏曲」。だんだん響きがロマン派になってくるのもいい構成ですね。

今回のサントリー音楽賞受賞記念コンサートは未来を見据えたチャレンジ

河村 今回、サントリー音楽賞を受賞したことがまだ信じられないくらいですけれど、とてもありがたい気持ちで受け取らせていただいています。私が尊敬する音楽家、山田和樹さんをはじめとして、あとはドーリック弦楽四重奏団、これはイギリスの四重奏団で、初めて聴いたのは10年前ですが、音楽そのものを今生まれたように演奏してくれる本物のアーティスト。この2回のコンサートは本当に豪華なキャストです。

ドーリック弦楽四重奏団:時代の最先端を走り続け、洗練された室内楽を聴かせる、イギリスが誇る名門クァルテット。1998年イギリスで結成され、世界中の聴衆や批評家を魅了し、今最も注目されている四重奏団である。アルバン・ベルク四重奏団、ハーゲン・クァルテットらのメンバー等によるマスタークラスにて研鑽を積み、2000年ブリストル・ミレニアム弦楽四重奏コンクールで第1位、08年には大阪国際室内楽コンクールで第1位に輝いた。現在、イギリスの主要なホールを始め、世界各地の主な音楽祭、著名なホールに頻繁に招かれているほか、数多くのCDも高く評価されている。©George Garnier

山田 「やってみなはれ」精神の佐治敬三さんが創設されたサントリー音楽賞は、単に活動の功績が多かった人に与えられる賞だと僕は思っていなくて、夢と未来と希望を託すものなんですね。今回の河村さんもそう。その人がプロデューサーも兼ねて、やりたいものをやるという受賞記念のコンサートです。それは、未来を見据えたチャレンジでもあるわけですよ。

取材を終えて

近年、歴史の陰に埋もれがちだった女性作曲家たちに急速に注目が集まっている。それは、女性だからどうこうという以前に、本当にきらめくような才能にあふれていたことが、遺されている楽曲からはっきり伝わってくるということが、まずある。

そして、調べていくうちに、彼女たちがどれほど男性優位社会の中で自らの才能を発揮するために大変な思いをしていたかということが、わかってくる。そうやって新たな視点を得ることで、少しずつ音楽史の風景が変わって見えてくる。それどころか、今の社会に対する見方さえ変わってくる。

河村尚子さんのサントリー音楽賞受賞記念コンサートは、オーケストラと室内楽の2つが行なわれるが、そこにエイミー・ビーチとレベッカ・クラークという女性作曲家ふたりの名前を見たとき、私は非常に興奮した――ぜひとも行かなければ!

これは単なるお祝いのコンサートではない。山田和樹さんがおっしゃるように、未来を見据えた、河村さんの大いなる挑戦なのだ。

林田直樹

サントリー音楽賞 受賞記念コンサート
室内楽

日時:2023年3月9日(木)19:00開演

会場:サントリーホール ブルーローズ(小ホール)

出演:河村尚子(ピアノ)、ドーリック弦楽四重奏団

曲目:矢代秋雄「ピアノ・ソナタ」、レベッカ・クラーク「ピアノ三重奏曲」、シューマン「ピアノ五重奏曲」変ホ長調 作品44

チケット:S席7,000円、A席5,000円、サイドビュー席3,000円、学生1.000円

問い合わせ:サントリーホール 0570-55-0017

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協奏曲

日時:2023年3月13日(月)19:00開演

会場:サントリーホール 大ホール

出演:河村尚子(ピアノ)、山田和樹(指揮)、読売日本交響楽団

曲目:エイミー・ビーチ《仮面舞踏会》作品22、エイミー・ビーチ「ピアノ協奏曲」嬰ハ短調 作品45、ブラームス「ピアノ協奏曲第2番」変ロ長調 作品83

チケット:S席9,000円、A席7,000円、B席5,000円、C席3,000円、学生席1,000円

問い合わせ:サントリーホール 0570-55-0017

詳細はこちら

 

2公演購入特典:3月9日と13日の2公演のチケット(S席またはA席)を購入された方に、抽選で河村尚子サイン入りプログラムをプレゼント。

林田直樹
林田直樹 音楽之友社社外メディアコーディネーター/音楽ジャーナリスト・評論家

1963年埼玉県生まれ。慶應義塾大学文学部を卒業、音楽之友社で楽譜・書籍・月刊誌「音楽の友」「レコード芸術」の編集を経て独立。オペラ、バレエから現代音楽やクロスオーバ...