結婚後も宮廷歌手の仕事を続けた2番目の妻アンナ・マグダレーナ

バッハがアンナ・マグダレーナと再婚するのは、バルバラが急逝してからおよそ1年半後。マグダレーナはケーテンの宮廷歌手だった。彼女をスカウトしたのは、宮廷楽長であったバッハ自身の可能性が高い。

マグダレーナはツァイツの宮廷トランペット奏者の家に生まれ、転職した父に伴ってヴァイセンフェルスに転居。ドイツの小さな宮廷には珍しく歌劇場があったヴァイセンフェルスで、おそらく劇場の歌手から教育を受け、宮廷歌手になっていた。

バッハはヴァイセンフェルスの宮廷と縁が深く(有名な《狩のカンタータ》は、ヴァイセンフェルスのクリスティアン公爵の誕生日を祝うカンタータである)、結婚の前年にもヴァイセンフェルスを訪れているから、マグダレーナの存在を知ってスカウトしたのではないだろうか。女性がケーテンの宮廷楽団に雇われるのは初めてだった。

J.S.バッハ《狩のカンタータ》BWV208:縁の深いヴァイセンフェルス宮廷の、クリスティアン公爵の誕生日を祝って作曲された

バッハが宮廷楽長、アンナ・マグダレーナが宮廷歌手として働いたケーテン城

2人は1721年の12月3日、バッハの自宅で結婚式を挙げた。再婚の時は自宅で結婚することはよくあったという。ちなみに、当時バッハが住んでいた建物は現存する。バッハが暮らした建物は実在しないとされてきたが、2008年に行なわれた古文書調査の結果、バッハがケーテンで住んだ2つの家のあった場所が突き止められ、2番目の建物は残っていたのである(詳しくは拙著『バッハ』[平凡社新書] をご参照いただきたい)。バッハは1719年にこの家に引っ越しているので、2人の結婚式はここで行なわれたはずだ。

ケーテンで、バッハとアンナ・マグダレーナが住んだ家。おそらく2人はここで結婚式をあげた

マグダレーナは結婚後も宮廷歌手として活躍するが、1723年5月、夫の転職にともなってライプツィヒに移住する。ライプツィヒでは女性が公の場で歌うことは禁じられていたが、ごく限られた場所で結婚式などの機会に歌ったり(商人ヴォルフの結婚式のためのカンタータ第216番《満ち足れるプライセの都よ》BWV216は、彼女が歌った可能性が指摘されている)、夫と一緒にケーテンやヴァイセンフェルスに赴いて歌うことはあった。

J.S.バッハ「カンタータ第216番《満ち足れるプライセの都よ》」BWV216(トラック1~7):アンナ・マグダレーナがライプツィヒで歌った可能性が指摘されている

ケーテンでは少なくとも3回歌っており、うち1回は1729年3月24日に行なわれたレオポルト侯の葬儀だった。その際に上演された葬送カンタータ《子らよ、嘆け》BWV244aは、カンタータ第198番《侯妃よ、さらに一条の光よ》BWV198、《マタイ受難曲》BWV244などバッハの傑作から転用されている。

J.S.バッハ「カンタータ《子らよ、嘆け》」BWV244a:アンナ・マグダレーナがケーテンのレオポルト侯の葬儀で歌った

レオポルト侯の葬儀が行なわれたケーテンの聖ヤコブ教会