初演準備では指揮者の横でテンポを明示したベートーヴェン

「第九」の初演会場は、ウィーンのケルントナー劇場でした。プログラム全体は、バレエダンサーで総支配人のルイ・アントワーヌ・デュポールの意向が強く反映されていましたが、音楽面を実際に仕切っていたのは、劇場のカペルマイスター(指揮者)のミヒャエル・ウムラウフ、コンサートマスターのイグナーツ・シュパンツィヒの2人で、ベートーヴェンはこの2人とはよく知った間柄でした。ベートーヴェンがメモの中で、「(上記の)3人とは足並みを揃えてリハーサルしなければいけない」と述べているように、周りに伺いを立てつつ初演に向けて準備がなされたようです。

オーケストラと合唱の合同リハーサルは、たったの2回。オーケストラと合唱の分奏こそ行われたものの、ベートーヴェン自身が手がけたのはソリストとのリハーサル、そして2回の合同リハーサルのみだったようです。

編成も大きく、第1・第2ヴァイオリン各12人、ヴィオラ10人、そしてチェロとコントラバス各12人という、現代から見れば低弦が異様に多いバランスだったとされています。しかし、初演当時のベートーヴェンの聴力は、これほど大きなオーケストラの音も判別できないほど壊滅的だったそうです。右耳は完全に失聴、左耳の聴力が微かに残っていたものの、「何かが鳴っているかもしれない」程度の音として認識できるレベルであり、音の内容はほとんど判別できなかったとされています。

そんなベートーヴェンは指揮台に立つことができず、1824年5月7日に行われた初演では、劇場専属カペルマイスターであるウムラウフが指揮しました。ベートーヴェンはウムラウフの横でテンポを明示し、そのテンポを元にウムラウフがオーケストラを指揮することで、ベートーヴェンが考える「第九」の理想像に近づけたのです。

それを裏付ける証言に、以下のものが挙げられます。ベートーヴェン専属の写譜師、秘書だったカール・ホルツ(1799〜1858)が「第九」の初演のことを語った際、彼の友人がその内容を日記に書いています。

合唱交響曲が初めて演奏された際の指揮者は、ウムラウフだった。そしてベートーヴェンは彼の横に立ち、テンポを示していた。

(Fanny Linzbauerの日記より、1858年)

そして初演から2年後、ベートーヴェンは「第九」のそれぞれの箇所にメトロノーム記号を明記し、出版社へ送りました。