脇園さんはまた、自身にとって大きな転換点となったもうひとつの貴重なエピソードも教えてくれました。
脇園 サルデーニャ島で《チェネレントラ》を歌うことになったとき、声がまったく出なくなってしまったんです。でも、代役もすぐには用意できないということで、公開リハーサルに臨みました。こんな状態に陥ってしまった自分が情けなくて、最初は演奏に集中できなかったんですが、《チェネレントラ》という作品を通じてロッシーニが表現したかった世界を伝えるのが自分の役割であり、どんなに悪い条件の中でも最大限にやらなければと思ったとき、まるで一種のシャーマンのように自分自身が媒体となってロッシーニの魂を伝えるという感覚になりました。歌い終わった瞬間、超満員の客席から大喝采が起こって……。
私は泣きながら、天にいるロッシーニに「こんな状態で歌ってしまってごめんなさい」と語りかけたら、「それでいいんだよ。完璧じゃないからいいんだよ」という声が聞こえてきました。
芸術というのは、完璧には辿り着けないということを知りながら完璧を追い求める作業であり、プロセスなのに、私は完璧という結果にフォーカスしてしまっていた。それは芸術に対する驕りだったと気づいたんです。人間がコントロールできない大きな存在である芸術に対する謙虚さを失ってはいけないということに思い至ったとき、自分の音楽が見えてきました。《チェネレントラ》は、そのことに気づかせてくれた作品だという点で、私の芸術家としてのスタートでありゴールなんです。
今回のプロダクションでは、現在新国立劇場の音楽チーフとして、すべての公演に関わっている城谷正博が指揮を担当。また王子ラミーロには2020年に《セビリャの理髪師》で共演したルネ・バルベラが登場します。脇園さんは、オペラ公演におけるチームワークの重要性を強調します。
脇園 理念を共有する音楽家たちが集まって人数以上のエネルギーを生み出すという音楽作りは、これからのオペラ界の主流になっていくと思いますが、この公演をその先駆け的な存在にしたいのです。そもそもロッシーニの音楽が、ひとりのディーヴァ、ひとりのディーヴォに依存するのではない、それぞれの歌手が自分の色を主張しつつ手と手を取り合うことで成り立つもの。
ロッシーニはおそらく、個を尊重した上で、まったく違う個が手を取り合うことで生まれる作用を熟知していたのではないでしょうか。この《チェネレントラ》はそうしたロッシーニの音楽観がもっともよく表れた作品なのです。
コロナ禍の中、社会では人と人との分断が進んでいるといわれていますが、「個と個が手を取り合うことで新しいものが生まれる」という指摘は、大きな示唆に富んでいます。まさに今、観られるべきタイムリーな作品であるロッシーニの《チェネレントラ》。脇園彩という最高の歌い手を得て、この秋、日本の私たちにどんな世界をみせてくれるのか、楽しみです。
日程: 2021年10月1日(金)~13日(水)
会場: 新国立劇場 オペラパレス
チケット料金: S席27,500円 、A席22,000円 、B席15,400円 、C席8,800円、D席5,500円、Z席1,650円
スタッフ:
城谷正博(指揮)
粟國 淳(演出)
アレッサンドロ・チャンマルーギ(美術・衣裳)
大島祐夫(照明)
上田遙(振付)
キャスト:
ルネ・バルベラ(ドン・ラミーロ)
上江隼人(ダンディーニ)
アレッサンドロ・コルベッリ(ドン・マニフィコ)
脇園 彩(アンジェリーナ)
ガブリエーレ・サゴーナ(アリドーロ)
高橋薫子(クロリンダ)
齊藤純子(ティーズベ)
新国立劇場合唱団
東京フィルハーモニー交響楽団
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