マドモアゼル・シャネルの精神を具現化していく

  ——シャネルは生前、どのように音楽家をサポートしていたのでしょうか?

マドモアゼル・シャネルがパリで活動をはじめた20世紀初頭は、エコール・ド・パリと総称される芸術家たちがパリに拠点をおき、新しい芸術が次々と生みだされていた時代でした。ピカソダリコクトーストラヴィンスキープーランクなどさまざまな芸術家と交流し、インスピレーションを与え合い、時には(誰にもわからないように)支援をしました。特に作曲家のストラヴィンスキーに関しては、2年にわたり妻と子供たちを含め、住居を提供するなどさまざまな支援を行ないました。イザベル・フィメイエ著『素顔のココ・シャネル』(河出書房新社)より。

シャネルが支援するきっかけとなったストラヴィンスキー《春の祭典》

——シャネル・ネクサス・ホールには、シャネルというブランドイメージがどのように表れていますか?

シャネル銀座ビルディングは、1階から3階にブティック、そして4階のシャネル・ネクサス・ホールでの文化イベント、10階のシャネルとデュカス・パリのコラボレーションによって生まれたレストラン「ベージュ アラン・デュカス 東京」を通して、シャネルの世界観をご体験いただくというコンセプトのもと、2004年12月にオープンしました。このビルを訪れた皆様に、お買いもの、芸術鑑賞、お食事を楽しみながら1日をお過ごしいただけるように、という思いが込められています。

シャネル銀座ビルディングの設計は、国際的に活躍する建築家ピーター・マリノ氏が手掛けています。シャネル・ネクサス・ホールはシャネルのシグネチャーである、ブラック、ホワイト、ベージュを基調にしています。

——シャネル・ネクサス・ホールでのイベントについて、教えてください。

コンサート以外に、展覧会も開催しています。前述したように、メゾンの創立者であるマドモアゼル・シャネルは芸術を愛し、絵画、音楽、映画、文学、バレエとさまざまな分野の芸術家と交流をし、支援しました。

1927年9月28日にベルギーのモネ劇場で初演された《アンティゴネ》で、マドモアゼル・シャネルがデザインした衣装をまとうエミール・コロンヌ。美術はピカソが手がけた。
ギリシャの三大悲劇詩人のひとり、ソフォクレスの『アンティゴネ』を原作に、ジャン・コクトーがリブレットを作成し、オネゲルが音楽をつけたオペラ。

シャネル・ネクサス・ホールでは、マドモアゼル・シャネルの芸術を愛し支援した精神を現代でも具現化していこうと、若手音楽家の支援や展覧会等、シャネルならではのユニークな企画を開催しています。

この活動は、世界のシャネルの中でも日本独自の活動です。定期的に開催される音楽会を通して、間近で演奏を楽しんでいただけるサロンのような雰囲気のなか、新たな才能との出会い、人々との出会い、そしてシャネルとの出会いの場を提供しています。