ピガールの屋根裏部屋に引っ越しピアノを習い始める

こうして、1871年秋、9歳のドビュッシーは、モンマルトルのニコレ街14番地の家にピアノの稽古に通うことになります。父親が逮捕された一家は、歓楽街で知られるピガール街59番地の屋根裏部屋に身を寄せます。日本では高層マンションが人気ですが、パリでは上の階に行くほどランクが下がります。当然、ピアノを買うお金などないはずですが、向かいのロシュフーコー街64番地に住んでいたシヴリーが練習場所を提供したのかもしれません。

ピガール街59番地

モンマルトルのニコレ街14番地の家
左がピガール街、右がロシュフーコー街

モーテ夫人の指導が功を奏して、1年後には、4倍の倍率を制してパリ音楽院のピアノ科に合格します。父親も減刑されてパリに戻り、73年には再就職することができました。1874年、一家は当時のパリ音楽院近くのクラペイロン街13番地に引っ越しています。

クラペイロン街13番地

クラペイロン街13番地

ピアノではあまりうまくいかず、作曲に転向したドビュッシーは、1884年に登竜門であるローマ大賞を受賞します。奨学金を得て2年間留学し、87年に作曲家デビューを果たしたものの生活は苦しく、《アラベスク》《夢》のようなピアノ曲を書いてやりくりしていました。