駆け落ちして高級住宅街へ

1902年、唯一のオペラ《ペレアスとメリザンド》の成功でようやく一流作曲家の仲間入りをした ドビュッシーは、1904年7月、糟糠の妻を捨てて銀行家夫人のエンマ・バルダックと駆け落ちします。1905年10月には交響詩《海》初演、2週間後に娘も生まれ、高級住宅街で知られる16区ボワ・ド・ブーローニュ街80番地(現Avenue Foch)の一軒家を借り、召使と料理人、娘の養育係を雇う生活が始まります。

ボワ・ド・ブーローニュ街のスクエア

ボワ・ド・ブーローニュ街

『子供の領分』『前奏曲集第1巻』『同2巻』など傑作ピアノ曲もここで書かれました。しかし、贅沢な生活に見合う収入が得られず、次第に借金を重ねるようになります。1918年3月に亡くなったときは、出版社のデュランに66000フランもの借り越し金を残したといいます。

極貧の少年時代を送ったドビュッシーは、育ちに似合わぬ貴族的な趣味を持っていました。あまり仕事をしないのに、お金ができると美術品を買ってしまうのでいつも手元不如意でした。ピガール街の屋根裏部屋から高級住宅街の一軒家まで、住居の変遷は、そのまま彼の矛盾した在り方を象徴していますが、そのことがまた、ドビュッシーの類まれな芸術を産んだとも言えるでしょう。

青柳いづみこ
青柳いづみこ ピアニスト・文筆家

安川加壽子、ピエール・バルビゼの各氏に師事。フランス国立マルセイユ音楽院首席卒業、東京藝術大学大学院博士課程修了。武満徹・矢代秋雄・八村義夫作品を集めた『残酷なやさし...