『子供の領分』『前奏曲集第1巻』『同2巻』など傑作ピアノ曲もここで書かれました。しかし、贅沢な生活に見合う収入が得られず、次第に借金を重ねるようになります。1918年3月に亡くなったときは、出版社のデュランに66000フランもの借り越し金を残したといいます。
極貧の少年時代を送ったドビュッシーは、育ちに似合わぬ貴族的な趣味を持っていました。あまり仕事をしないのに、お金ができると美術品を買ってしまうのでいつも手元不如意でした。ピガール街の屋根裏部屋から高級住宅街の一軒家まで、住居の変遷は、そのまま彼の矛盾した在り方を象徴していますが、そのことがまた、ドビュッシーの類まれな芸術を産んだとも言えるでしょう。