ヘルダー版のあらすじを追ってみよう。青年オールフが婚礼客を招くために馬を駆っていると、魔王の娘が「一緒に踊ろう」と手を差し伸べてきた。オールフが誘いを断ると、魔王の娘は青年を手にかけてしまう。
魔王の娘は、オールフの胸を突いた。そのような痛みを、オールフは今まで一度も感じたことがなかった。
魔王の娘は、蒼白のオールフを馬に乗せて言った。「愛する花嫁の元に帰るがいい」
ヘルダー『民謡集』より(筆者訳)
オールフはなんとか家に辿り着くが、その表情は母が驚くほどに青白かった。翌朝、花嫁と客たちがやってくると、オールフは既に死んでいた。
デンマーク語の原典では、オールフが死んだあとで、花嫁と母親も亡くなる。「魔王」と「父親」を登場させたのはゲーテであるが、死という劇的な幕切れを考え出したのはヘルダーだった。
ヘルダーが勝手に結末を変えたように思えるかもしれないが、物語のインパクトを強めることには成功している。ゲーテとシューベルトに受け継がれ、《魔王》が世界的に有名な作品となったことに一役買っているかもしれない。
次に、ヘルダーによる『魔王の娘』という題名について見ていきたい。ドイツ語のタイトルはErlkönigs Tochterであり、直訳すると「ハンノキの王の娘」を意味する。現在知られているゲーテの詩も、原題では「ハンノキの王」を意味し、「魔王」というのは日本語訳されたときに定着した。
そもそも、「ハンノキの王」という訳は、実は元となったデンマーク語からヘルダーが誤訳したともいえる。デンマーク語の原題Elveskudは、「妖精の一撃」を意味する(elveが「妖精」、kudが「攻撃」のこと)。elveが似たスペルのelle(デンマーク語で「ハンノキ」)と取り違えられ、「妖精」が「ハンノキ」に変わって、「一撃」がなくなってしまった。
もしかすると、シューベルトの歌曲も《妖精の一撃》になっていたかもしれない。しかし、「妖精」にしろ「ハンノキの王」にしろ、「得体の知れない怖い存在」を表しているのはたしかなので、日本語訳として「怖いもの」を指す仏教用語「魔王」をあてたのだろう。
「魔王の娘(ハンノキの王の娘)」という訳は、ただのミスなのか。民謡収集とは何だったのかを考えなければ、ヘルダーの真意は見えてこない。
『民謡集』の序言には、次のように書かれている。
この『民謡集』の主な関心は、あらゆる歌の音調と旋律をとらえ、それを正確に保つことでもあった。それが全編でうまくいっているかは、また別問題である。(中略)それがうまくいった場合、歌の響きが、他の言語から我々の言語へと、純粋かつ適切に移っている。
ヘルダー『民謡集』より(筆者訳)
各国の民謡を集めるにあたり、ヘルダーはただ「内容」をドイツ語にしたのではなく、民謡のもつ「音調や旋律」を聴き取ろうとした。庶民の歌は「その民族に固有の感情、衝動、ものの見方」(ヘルダー『人類歴史哲学考』より、筆者訳)を表すと考えたからだ。つまり、「音調や旋律」とは、単なる物理的な「音」ではない。それは、歌った人の情感であったり、各地の風土で育まれた精神である。
『民謡集』の目的は、他者や異文化を受け入れ、相互理解を深めることにある。「ハンノキ」という訳も、ヘルダーが「木に精霊が宿る」というドイツ伝統の考え方を意識した結果なのだろう。ドイツの風土と結びつけることで、北欧に伝わる歌の情景をイメージしやすくしたのだ。
そうした努力が実ったのか、『魔王の娘』は広く受け入れられ、ゲーテはバラードに謳い、歌曲を多く残したドイツの作曲家カール・レーヴェ(1796〜1869)やドイツとオーストリアを中心に指揮者としても活躍した作曲家ハンツ・プフィツナー(1869〜1949)は曲をつけた。
レーヴェによるヘルダー版《魔王》
レーヴェによるゲーテ版《魔王》
今では“ゲーテの詩にシューベルトが作曲した《魔王》”として知られているが、その礎にはデンマーク民謡の「妖精の一撃」、ヘルダー版「魔王の娘(ハンノキの王の娘)」、そしてゲーテによる「魔王(ハンノキの王)」という変遷があったのだ。