モーツァルトが転居した1780年ごろのウィーンでは、宮廷風の堅苦しい服装のしきたりが急激にゆるみつつあった。女帝マリア・テレジアは、身につける服を身分ごとに細かく定めた法令を撤廃したが、これをきっかけに、高位の貴族たちがくつろいだ服装で公園や緑地をすすんで散策するようになっていた。
マリア・テレジアの幼少時には、ウィーンでも、スカートをパニエで大きく膨らませ、コルセットで胴部を締め上げるドレスが好まれたが、この当時は男性たちもまた、ウェストを細く絞り、袖に大きな折り返しをつけたジュストコールと呼ばれる華やかな上着を着用していた。
しかし、18世紀、啓蒙主義の影響を受けて新しい合理的な生活感情が定着するとともに、このジュストコールの着心地の悪さが指摘されるようになっていく。男性たち、とりわけ、ウィーンの官房で働く国家官僚たちは、ジュストコールの飾りカフスを取り除き、裾を細く仕立てた「フラック」を好んで身につけるようになったのだった。
モーツァルトが手紙のなかで憧れを込めて「フロック(frok)」と書いたのは、この「フラック」の当時のドイツ風の綴りにほかならない。