その後、フジコさんと食事をする機会があった。
会食中、自宅で飼っている保護猫のことが話題となった。その日は泊りがけの公演ゆえに、猫の世話を知人にお願いしてきたそうで、そのことが気になるようだった。
猫と言えば、フジコさんは、作曲家の助川敏弥先生の《ちいさき いのちの ために》をコンサートで演奏していた。ふたりは、同じ時期を東京藝術大学で過ごした。また、1954年の日本音楽コンクールでは、彼女はピアノ部門で第2位、そして助川先生は作曲部門(管弦楽曲)で第1位・特賞を受賞している。
私は、2000年になる少し前から助川先生と仕事をご一緒していた時期がある。あるとき、先生が「うちの子が事故で亡くなってね……」と、私に話し始めた。愛猫のことを語る先生の言葉には力がなかった。ほどなく、助川先生は《ちいさき いのちの ために》を書き上げた。
助川先生がフジコさんと再会したのは2000年代。およそ半世紀の年月を経て、ふたりの交流は再開した。フジコさんは、愛猫を亡くした先生の悲しみを深く理解していた。
フジコさんの動物愛護への取り組みは徹底しており、野菜の料理を食べていた。「私はお芋があれば、それで十分」とも語った。最後は店の人に深い感謝を述べていた。