フジコさんの演奏は、古き良き時代を思わせる時の流れにゆったりと身を委ね、ハーモニーの礎ともなるべき低音部の揺るぎない響きの上で、メロディを弦楽器のようにたっぷりとレガートで歌い上げる。
とくに、低音の豊かな響きとともに、厚みを帯びたまろやかな音は、師のクロイツァーを連想させる。晩年、足を悪くしていたせいかペダリングには不自由していたかもしれないが、それでも独特のペダリングを通して、色彩豊かな響きを創出していた。《ラ・カンパネッラ》における、たっぷりと鳴り響く高音の輝きに満ちたサウンドも、印象深い。
1999年に発売されたフジコ・ヘミングのファーストCD『奇蹟のカンパネラ』。クラシック界異例の大ヒットを記録した
クロイツァーの師は、プロコフィエフも学んだアンナ・エシポワであった。エシポワはテオドール・レシェティツキに、そしてレシェティツキはチェルニーに師事した。チェルニーの弟子には、フランツ・リストもいる。その意味では、フジコさんはリストの系譜にあるピアニストと言ってもよい。
フジコさんに、私の手と比べさせてほしいとお願いした。写真も撮りたい旨を告げると、「手の平ならばいいわよ」と快諾してくれた。私の手指とまったく違うのがおわかりいただけるだろうか。日本人離れした骨格。80歳代後半に差し掛かった時期であったが、サントリーホールの隅々まで響きが豊かに広がっていくパワーあふれる音を生み出していた。