——オールソンさんは22歳のときにコンクールに出場されましたが、今こうして時を経て、ご自身の中でショパン像に変化はありましたか?

オールソン ええ、もちろんあります。私は昔からショパンをとても愛していましたし、コンクールで優勝したことで、ショパンの音楽と私の名が強く結びつくようになり、多くの方が私のショパン演奏を求めてくれるようになりました。それは私にとって、とても嬉しいことでした。

でもその後、音楽家として成長していく中で、次第に気づいたんです。ショパンは、私が当時思っていた以上に、ずっと大きく、偉大な存在だったのだということに。

少し例えを交えて説明させてください。たとえばフランス料理には、デザート専門のパティシエがいますよね。非常に繊細で美しい、甘くて複雑なデザートを作る職人です。これは普通の料理人とは別のスキルで、フランス料理のなかでも特別な分野です。時にショパンは、すべての作曲家の中で“最高のパティシエ”のような存在です。

彼の音楽はとても甘美で、まるで極上のデザートのように味わい深い。時には「食べすぎは体に良くないかも」と感じるほど、魅惑的で甘やかです(笑)。

でも、ショパンの持っている表現の幅は、私が最初に想像していたよりもはるかに広い。美しいノクターンや、華やかで軽やかなワルツといった「甘美な作品」だけではなく、彼は非常に力強く、深く、悲劇的で、人間の感情を多面的に描ける作曲家なんです。ある意味、偉大な物語を語る語り手のような一面もある。

ショパンコンクールに出場したときの22歳のオールソン氏
写真提供:ショパン研究所

オールソン 彼の音楽にはいつも「魔法」のような音の魅力があって、人の心を惹きつけてやまない。だからこそ、私のショパンへの想いはどんどん深まっています。

作曲家としての彼は、もしかするとモーツァルトやベートーヴェンのような「人間的スケールの広さ」は持っていないかもしれません。でも、作品の質の高さ、音楽の深み、構造の精緻さ……それらに対する私の敬意は、歳を重ねるごとに増しています。

そして、ショパンの音楽は、彼のことをすでによく知る演奏家にとっても、常にインスピレーションと魔法を与えてくれる。私にとってもそうです。私は彼の音楽に飽きたと感じたことは一度もありません。途中で休憩が必要だとか、少し離れたいと思ったこともありません。それほどに彼の音楽は滋養に満ちていて、私にとって常に糧となる存在です。もちろん、すべての偉大な音楽が私たちの魂や心に何かを与えてくれるものですが。

ギャリック・オールソンが1849年製エラールとスタインウェイで演奏したアルバム