——出場者としては、とくに印象に残っている思い出はありますか?
オールソン 50年以上も前のことですが(笑)……本当にたくさんあります。まず、ひとつ“面白い”エピソードをお話しましょう。まあ、当時は少し「悪い意味で」印象的だったんですが、今となっては面白い思い出です。
決勝に進む頃には、自分が「入賞者候補の一人」だという手応えがありました。というのも、聴衆の反応からも感じ取れましたし、ポーランドの新聞に載った批評も英語に訳されて読めるようにしてくれていて、かなり高く評価されていることがわかっていたからです。
ただ、そういう中で、3週間にわたって続くコンクールの終盤になると、プレッシャーがものすごく大きくなるんです。そして決勝の協奏曲の本番。会場はいつも満員で、とにかく人であふれていました。通路も、通路脇の床も人で埋め尽くされていて、肘掛けにまで座っている人がいるほど。本来なら1,100人のホールに、たぶん2,000人くらいいたんじゃないでしょうか。
そんな中、私は「協奏曲第1番」を演奏するために、腕を構えたんですが、ふと肘とピアノの間から床を見ると、目の前に人の顔があるんですよ! 床に座って、こちらをじっと見つめてる人たちがいて、それがあまりにショックで、ものすごく緊張してしまいました。そのせいで、最初の4小節のアルペッジオでミスをしてしまって……さらにそのすぐあとでもう1回間違えてしまいました。
観客の中には、顔を手で覆って見ていられない様子の若者たちもいたのを覚えています。私は心の中で「もう終わった……優勝は逃した」と思いました。
でも、実際にはそうではありませんでした。審査員はたった一音のミスで評価を決めるわけではないんです。その時点で私の演奏はすでに知られていて、技術や音楽性も評価されていたので、彼らも「これは緊張からくるものだ」と理解してくれたのだと思います。
今では審査員を務めていますが、私たちもそんなに冷酷ではありません(笑)。共感もしますし、とくに決勝では、オーケストラと演奏する経験がほとんどない人もいて、指揮者との共演や、共演という行為自体に慣れていない。だから、そこは理解する必要があります。
オールソンのショパンコンクールでの演奏
オールソン しかし実際、あのときの私は本当に緊張していて、食事も喉を通りませんでした。私の両親は、アメリカのホワイト・プレインズ(ニューヨーク州)から応援に来ていて、決勝の3日間のうちの翌日、家族で夕食に出かけたんですが、母が言ったんです。
「あなた、相当緊張してたわね。だって、全然食べてなかったもの」
母は私のことをよく知っていて、こう言ったんです。
「あなたは、嬉しくても、悲しくても、嵐でも、穏やかでも、とにかく食べる人でしょう? なのに、昨日は何も食べなかった」
そして、いよいよ結果発表のとき。当時は審査結果が発表される「審査員専用の部屋」があって、そこにラジオで結果が流れる仕組みでした。ちょっと発表に時間がかかっていたのですが、誰かが「発表が始まってるよ」と知らせてくれて、私は急いでその部屋に向かいました。
ちょうど着いたときには、「第4位は○○、第5位は○○、第6位は○○」と発表されていて……私は誰かに尋ねました。「で、誰が優勝したの?」って。
すると、その人がこう言ったんです。
「あなたよ、あなたが優勝したの!」
あの瞬間は、本当にショックでした。一生忘れられない出来事です。