——「第九」初演200年の記念の年なので、改めて稲垣さんにとっての第九の魅力を教えてください。
稲垣 僕は別に「第九」といえば年末みたいな感じはしないんですよね。子どもの頃、第九で年末っていうイメージがなかったので、 そういう日本人がみんな持っているイメージはそこまでないんですけど。
平野 初演は年末じゃないしね。麗しの5月。
稲垣 でも、あの曲が流れてくるだけで、なんかこう、ドキドキしてくるし、 血が騒ぐというか。曲の力によって、大変な役を演じられているのかなっていう感じはあります。
ベートーヴェン:交響曲第9番《合唱付き》
稲垣 すごいですよね、耳がまったく聞こえない中で、なんであんな「歓びの歌」を作れるのかって、 僕らには計り知れない。耳が聞こえないで作曲って、どういうことなんですか?
平野 メロディは頭の中で鳴っていますよね。
稲垣 完全に鳴っているんですか?
平野 完全に鳴っていますね。生まれつきの聾唖者じゃないので。1802年ぐらいに遺書みたいなものを書くわけだけど、そこに自分で、音楽家の中でも飛び抜けて人よりも優れた聴覚を持っていた自分が……っていうことが書いてある。ただ、聞こえなくても音符さえ見れば音は頭の中で鳴る。
稲垣 奏者でもあったので、楽器の音域などもみんなわかっていたんですよね。
平野 そうですね。ピアノを弾きながら曲を書くわけじゃないので。
稲垣 そっか、もともとそうなんだ。弾きながら書いてないんだ。
平野 音を探って、ピアノで出来上がったものを聴いてはいるけれど、作曲するときには、むしろ誰もいない散歩道で書いていました。
稲垣 誰よりも生の音で聴きたかったのはベートーヴェンでしょうね。ベートーヴェンは初演のとき、どんな感じだったんでしょうか。
平野 どの程度聞こえなかったのかというと、低音のほうはかなり聞こえていたと思います。周波数の高いほうから聞こえなくなるので、高い声は聞こえなかったと思いますが、低いほうとか静かな音はある程度は聞こえていた。だから、悪口はヒソヒソ声でやるとみんな聞こえちゃうんですよ。
稲垣 逆にウィスパーだと聞こえちゃう(笑)。
平野 半分冗談だけど、半分は本当(笑)。