ゲーテの詩「野バラ」には、シューベルト以外にも、ライヒャルト、ブラームス、ヴェルナーなどが曲をつけた。特にヴェルナーの曲は、文部省唱歌になっており、日本でも親しまれている。
ライヒャルト、ブラームス、ヴェルナーによる《野ばら》
数々の作曲家にインスピレーションを与えた「野バラ」。そのあらすじを整理してみよう。
野原にバラを見つけた少年。その美しさの虜になり、「君を摘むよ」と語りかける。「ならば君を刺すよ」と返すバラだったが、最後には無慈悲にも折られてしまう。
この詩では、少年の乱暴さとバラの可憐さが対比されている。2つのモチーフが表すのは、ゲーテと恋人だと言われている。
ストラスブールで法律を学んでいたゲーテは、都会での生活に疲れ果て、創作意欲を失っていた。そんなときに近郊の村ゼーゼンハイムを訪れ、フリーデリケ・ブリオンという少女と出会った。自伝では、彼女の印象が次のように語られている。
そのとき、彼女が部屋に入ってきた。この田舎の空に、非常に可愛らしい星が現れたのだ。2人の娘は、いわゆるドイツ風の身なりをしていた。今ではほぼ誰も着なくなったこの民族衣装は、とてもフリーデリケに似合っていた。(筆者訳)
少年が可憐な野バラに魅せられたように、ゲーテは可愛らしい田舎娘フリーデリケに心奪われた。2人はやがて恋仲になり、自然豊かな田舎町で愛を育んでいった。ゲーテも嬉しそうに報告している。
再び会えたという喜びを祝して、私はついに彼女の手に接吻した。彼女はその手を私の手に委ねたままにしていた。(筆者訳)
フリーデリケは、恋愛関係がこれからも続くと信じていた。しかし、元気を取り戻したゲーテは、突如として去ってしまう。
そのように多忙でも、私はもう一度フリーデリケに会わずにはいられなかった。(中略)馬上から彼女に手を差し出したとき、彼女の目には涙が浮かんでいた。私はとても後ろめたい気持ちだった。(筆者訳)
少年が野バラを折ったように、ゲーテは乙女の心を踏みにじった。それを題材に詩を書いたのは、自分の身勝手さを償い、悔やむ想いを芸術に昇華するためだろう。
まだ18歳だったシューベルトは、若きゲーテの心の痛みに共感し、歌詞として取り上げたのかもしれない。
後年、ゲーテとフリーデリケの恋愛は、オペレッタの題材にもなった。レハール作曲の《フリーデリケ》では、恋の喜びと悲しみが、美しく歌われている。シューベルトの歌曲と合わせて聴いてみてはどうだろうか。
レハール:オペレッタ《フリーデリケ》