大革命後のパリで急増した「グリゼット」=お針子とは

大革命後にパリでも本格的に産業革命が始まり、お針子や八百屋、洗濯屋など単純作業に従事する若い女性の働き手が急増した(革命前は彼女たちの仕事といえば小間使いくらいしかなかった)。パリの人口も、革命前の 60万人から1840年代には100万を超えるまでになっていたのである。

女性単純労働者の代名詞だった「グリゼット」には、男性の気軽な遊び相手というニュアンスもあった。彼女たちはパリの、あるいは地方の貧困層の出身だったので、いいところのお坊ちゃんの結婚の対象にはなりえなかったからだ。

そんな風潮の中で一部のグリゼットは道を踏み外し、愛人になったり娼婦に身を落としたりした。プッチーニの《ラ・ボエーム》のヒロイン、ミミも、そんな女性の一人である。