カトリーヌが生きた16世紀、ヨーロッパには宗教改革の嵐が吹き荒れていた。
ドイツではマルティン・ルターがカトリック教会の改革を叫んで教皇から破門され、「ルター派プロテスタント」を立ち上げた。
イングランドではヘンリー8世が、(この連載でも扱った)アン・ブーリンと結婚するために「国教会」を創設した。
スイスではカルヴァンが改革を唱え、その流れがフランスに及んで「ユグノー教徒」と呼ばれる新教徒が生まれる。
カトリック大国のフランスが、ユグノーに警戒心を抱くのは当然だ。結果、新旧教徒の衝突が起きる。
それに輪をかけたのが外国の介入だ。イングランドのエリザベス1世はユグノー、スペインのフェリペ2世はカトリックと、それぞれの国教を理由にフランスに派兵した。
カトリーヌは夫を騎馬試合で喪った後、後継となった息子のフランソワ2世を後見し、フランソワが17歳で亡くなると、シャルル9世として即位した5男の「摂政」となった。
女が摂政になるのは異例だったが、カトリーヌはほんらいその地位に就くはずだったナバラ国王アントワーヌを丸め込んで実質的な摂政になる。
一種のクーデターだった。カトリーヌはようやく、女としての不遇を補ってあまりある権力の座についたのだ。
カトリーヌは信仰より国家権力を重視した。国の安定のため、彼女はくりかえし新旧両派の融和を試みるが、ことごとく失敗する。