政治家として、女王として、生まれるのが早過ぎた

結局、カトリーヌが目指した信教の自由は、カトリーヌの子どもたちが死に絶え、ヴァロワ朝が断絶し、ナバラ国王でブルボン家のアンリが国王アンリ4世となった時代に実現する(「ナントの勅令」)。

カトリーヌの悲願だった信仰の自由を実現したブルボン朝は、ヨーロッパ最強の絶対王政を謳歌した。18世紀には、ロシアのエカテリーナ2世、オーストリアの実質的な女帝マリア・テレジア、フランスのポンパドゥール夫人という3人の女性がヨーロッパの命運を握る、華麗なる女王時代が訪れる。

カトリーヌは、生まれるのが早過ぎたのかもしれない。政治家としても、女王としても。