——最初にできたのはどの曲ですか?

稲本 Hello World」です。これは、少年期の家康が新しい世界に向かい走ってゆくさまを表した、物語を象徴する曲の中の一つ。パンデミックを経て変化を求められている時代に、新しい世界に向かって進まねばならない私たち自身も重ね、希望の音楽を書きたいと思いました。

——今回の家康像について、稲本さんはどう感じていらっしゃいますか?

稲本 家康は戦乱の世に終止符を打って、たくさんの人々が手をとりあって生きていける時代を作った人だと思うんです。メインテーマ曲や本編の楽曲に手拍子が入っているのには、そんな民衆の思いを象徴し、彼らとともに前へ進んでいく家康を表現したいと考えたからです。

また、天下統一に至るまで、さまざまな困難や葛藤を抱えつつも明るく突き進む姿も、音楽によって光と影を表現できたらと思っています。

家康が人生を歩むにつれ、使用するピアノも歳を重ねた音色のものに

——録音はどのように進められたのでしょうか?

稲本 劇伴の録音というと、多くの場合、スコアができたら収録日を決め、予定の合う奏者を集めるという手順になります。でも僕の場合、自分が作曲をするピアニストというプレイヤーの立場ということもあって、まず演奏者ありきで曲を書きます。つまり、ある人に演奏してもらうことを念頭に当て書きで作曲していく。その奏者だからこそ理想的な表現ができるフレーズを、手紙のように書いていくのです。その方ならこう吹くだろうという予想がついているので、楽譜に細かい指示は書きません。そのため僕のスコアには、楽器名ではなく個人名が書いてあります。

今回のレコーディング中は、僕がみんなをいつものあだ名で呼ぶものだから、初めてお仕事をしたNHKのスタッフのみなさんは、誰がどんなあだ名でどの楽器担当かを把握するまでが大変そうでした(笑)。

——和楽器も効果的に使われていますね。

稲本 三味線や和太鼓などがすでに登場していますが、今後は笙や篳篥も出てきます。

ピアノと和楽器の共演は今や珍しくありませんが、僕はこれまで、十分な時間が取れない現場で本当にうまくいくのだろうかと踏み出せないところがありました。でも今回は大河ドラマという状況のおかげで、じっくり時間をかけて取り組めて、本当のコラボレーションになっていると感じます。

——家康が若い頃の場面には若々しい音色のピアノで、このあと家康が年齢を重ねていくごとに、古い年代のピアノで録音をしていく予定だそうですね。

稲本 はい、それぞれ年代の違うニューヨーク・スタインウェイを使って録音します。

メインテーマと、家康が若くとにかくがむしゃらに生きていた頃の音楽は、1989年製のピアノで録音しました。

その後、三河を束ねて主人となるべく成長していった頃の音楽では、1932年製のピアノを使います。これはラフマニノフがアメリカの自宅で使っていたもので、鍵盤の奥に、手の大きかった彼の指が当たってついた傷がのこっているんです。こういう古い時代のスタインウェイは、構造物として手が込んだ造りになっているので、豊かな倍音が特徴的です。

ピアノの説明をする稲本さん。

稲本 そして信長の没後、大名の仲間入りをして関ヶ原の戦いに向かう時代には、1912年製のピアノ。ついに天下を治める頃の音楽は、1887年製のピアノを使う予定です。これは日本の明治時代ですから、このピアノを聴いていた人たちは江戸時代生まれだったと思うと感慨深いですよね。

ドラマは「今日この平和があるのも、すべては大御所、東照大権現さまのおかげ」というナレーションで始まりました。江戸という平和な街を創った家康が未来の日本に託した想いを、年を重ねた音色を持つピアノで表現できたらと思っています。

ちなみに、作曲の時点からそれぞれのピアノを使うので、あるピアノで作った曲を別のピアノで弾くと違和感があるんですよね。それくらい、弾く楽器にもその音色ありきで曲を作っていきます。

手前が1912年に製作されたピアノ。1900年代初頭のスタインウェイは、ゴールデンエイジと言われるほどクオリティが高い。奥はメインテーマや家康が若いころの音楽に使用する1989年製のニューヨーク・スタインウェイ。作曲もそれぞれのピアノで行なうため、同じ曲を別のピアノで弾くと違和感があるそう。

楽譜に縛られたくない気持ちから作曲も志すように

——お父さま、弟さんともにクラリネット奏者という音楽一家ですが、稲本さんが最初に勉強したのはピアノなのですよね?

稲本 はい、3歳からピアノを習うようになりました。5歳の頃には僕自身が父とステージに立つようになり、多いときには年間100公演くらい出演していました。ただ、9歳の頃には、やはり父の吹くクラリネットを演奏したいといって始めました。

ウェーバーやモーツァルトなど、クラリネットの重要なレパートリーを数多く勉強していました。でもあるとき、楽譜に縛られるストレスを感じるようになったのです。どんなに気分が高揚していても、クラシックの曲は楽譜通りに吹かなくてはいけませんから、やっぱり自分で曲を作りたいと思い始めました。そうなると、作曲するにはやはりピアノの音域には敵わないと感じ、再びピアノに向き合いました。

稲本 そんな中学2年生の頃、ドイツのピアニストの公開レッスンを受ける機会があり、その先生がピアノを意のままにダイナミックに弾く姿をみて、ピアノを弾くのってかっこいい! と思うようになったことも、ピアノに転向した理由の一つかもしれません。

本当は高校からドイツに留学したかったのですが、ちょうどベルリンの壁が崩壊した直後の混乱した時代だったこともあり、高校卒業までは京都の堀川高校音楽科で勉強したのち、ドイツに留学しました。

——留学中はクラシックピアノのレパートリーも勉強されたと思いますが、影響を受けている作曲家はいますか?

稲本 ラフマニノフなど、ピアノを弾く作曲家からの影響はありますね。

ただ一番大きいのは、父と小さな頃から舞台に立った経験の積み重ねの影響だと思います。父が吹きたいというため、プッチーニ《トスカ》の「星は光りぬ」やさまざまなオーケストラの楽曲をピアノで弾いていたことで、オーケストレーションを学びました。

あとは、お客さんの反応から学んだこともあります。ほぼ初見で美空ひばりさんの曲を弾いたあとにお客さんが涙しているのを見て、必死で練習してドビュッシーの楽曲を弾いたあとの控えめな反応と比べ、複雑な思いを抱くこともありました。結局音楽の力って、技巧や芸術性だけではなく、言葉では言い表せない別の何かの要素が大きいのだと実感する経験でした。

——最後に、今回大河ドラマの音楽制作に関わって感じていることをお聞かせください。

稲本 大河ドラマの現場は、日本の文化、エンターテインメント界を発展させる場だと日々感じています。

一般的なドラマや映画の現場だと、一度仕事をして次はこうしたいねという話が出たところで、次にまったく同じスタッフが集まれることはなかなかありません。

でも大河ドラマは、音楽、美術、照明、撮影、さらには時代考証などいろいろな関係者が長期間関わって作品を作るため、さらなる高みを目指して同時進行で影響し合うことができます。そしてまるでスポーツの日本代表のように、チームの垣根を越え、各ジャンルのトップで活躍する方が現場に集まります。こういう場所が、エンターテインメントの将来を支える若い世代を育てるのでしょう。僕自身も、貴重な経験をさせていただいています。

「Band Journal」5月号、6月号にも稲本響さんが登場!

「Band Journal」5月号(4月10日発売)では、大河ドラマの楽曲制作やレコーディングのこと、これまでの音楽経験などについて稲本響さんにインタビュー!
6月号(5月10日発売)の別冊付録楽譜は、稲本さん作曲・監修による『どうする家康』の吹奏楽アレンジ! その演奏のポイントも教えていただきました。
取材・文
高坂はる香
取材・文
高坂はる香 音楽ライター

大学院でインドのスラムの自立支援プロジェクトを研究。その後、2005年からピアノ専門誌の編集者として国内外でピアニストの取材を行なう。2011年よりフリーランスで活動...