「プロ・オーケストラ」が誕生したのはいつ?

「オーケストラ」という概念が登場し、そしてこの概念が楽器奏者の集合体を指すようになったのは18世紀以降のことでした。宮廷やオペラ劇場におけるオーケストラが、専業の音楽家たちが担う、いわゆる「プロ・オーケストラ」の誕生ということになりそうですが、その規模は宮廷の財力、当主の音楽への興味などに応じてさまざまでした。

2022年に来日予定のシュターツカペレ・ベルリンの前身は、1570年に成立したプロイセン王立宮廷楽団であり、18世紀においてはまぎれもなく欧州を代表する「オーケストラ」のひとつでした。

「交響曲」のおおもとはイタリア発の「シンフォニア」

我々がオーケストラ、あるいはオーケストラの楽曲としてイメージするような「交響曲」が成立したのは、後期バロック期から古典派の時代にかけて、すなわち18世紀後半となります。純粋なオーケストラ曲としてイタリアで発展した「シンフォニア」が、その発祥ということになるでしょうか。編成はコントラバスをともなう弦楽器4部(第1・第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ)に、オーボエ、ファゴット、ホルンなどの補強用管楽器が用いられます。

マンハイム宮廷で現代「オーケストラ」の原型が生まれた

このような基礎の上に、大人数アンサンブルであることの利点を最大限に活用した楽曲(強弱の対比など)が、ドイツ・マンハイムなどで生まれたこと、ソナタ形式、舞曲等から成る複数楽章による「交響曲」ハイドン、そしてモーツァルトベートーヴェンによって定式化されたこと、それによってオーケストラに定席を得る管楽器が決まっていくことなどによって、現代のわれわれが想像するような「オーケストラ」のイメージが定着していきます。

マンハイムの宮殿。ドイツのプファルツ選帝侯の都マンハイムを中心に活動した音楽家をマンハイム楽派と呼ぶ。とくに芸術を愛好し、みずからいくつかの楽器を演奏したカール・テーオドール侯の在任(1742-78)中には,芸術活動の保護・奨励が進み,宮廷音楽家が大幅に増員されて、宮廷楽団はヨーロッパでもっとも大きく有能な楽団のひとつとなった。短いフレーズ内での急激な強弱の変化や、息の長いクレッシェンドのフレーズを特徴とする。モーツァルトは4回マンハイムを訪れ,マンハイム楽派の様式に強く心をひかれたが,宮廷音楽家として奉職する機会を得ることはできなかった。