でも、いきなりこういった新しいモデルを実際に現場に投入するには、さまざまな困難が伴う。「第九」から《In C》に行く前に、もちっとソフトな変化、橋渡しとしての音楽も必要なのではないか。日本の年末公演という性格を踏まえた上で、「第九」からちょっとだけ進歩している音楽を探すのだ。
まずは、大規模な作品であること。声楽が入るのが望ましいが、確固とした宗教作品は外したい。そうした範囲から飛び出したものが「第九」の信条だったからだ。ベルリオーズやシューマンの文芸大作的な交響曲も、どこかズレている気もする(「第九」はドラマというより、メッセージを求められるということか)。
たとえば、マーラーの「交響曲第2番《復活》」はどうか。規模は一回りも二回りも大きく、声楽入りで、メッセージ性だって高い。暗から明への劇的な移り変わりも「第九」譲り。しかも、大晦日に死に、正月に生まれ変わるという日本的な精神性にも合致する。生まれ変わるために滅びよ!
マーラー:「交響曲第2番《復活》」
ただ、この交響曲を聴いているときは「復活」のドラマに埋没できるものの、最後の白熱するコーダによって「復活が無事遂げられた」とばかりに満足してしまいがち。満たされた気持ちで聴衆は帰途に就いておしまいとなりはしまいか。「第九」のコーダも白熱するけれど、終楽章が変奏曲形式ということもあってか、どこか紆余曲折、ちょっとした引っかかりを残す。そして、そんな引っかかりが、メッセージ性としての役割をも果たしているのかもしれない。