――ヤニス・クセナキス(1922-2001)の「テトラス」には、グニャグニャしたノイズのような言葉のような音がたくさん出てきます。オーケストラ・プログラムで演奏される「ドクス・オーク」も同様で、とても自由で荒々しい印象を受けます。数学と科学と建築の人であったクセナキスから、なぜこのように野性的な音楽が生まれてくるのでしょうか。

A クセナキスが数学者だったからこそ、このような音楽を生み出す想像力があったのだと思います。彼と長年の友人だったからこそ分かります。

クセナキスはクラシック音楽の訓練の規範に縛られていませんでした。縛られていないという意味で、いかに野性的で自由な作品であるかが分かります。

ヤニス・クセナキス
ルーマニアのブライラに生まれる。10歳のころギリシャに移り音楽に関心を抱き、アテネでピアノと音楽理論を学ぶ。第二次世界大戦勃発後、民族解放戦線(EAM)でレジスタンスに参加、顔面を負傷する。アテネ工科大学卒業後、偽造パスポートを使ってイタリアへ行き、アメリカへの経由地とする予定だったパリに定住。1947年、ル・コルビュジエの設計事務所に入り、ブリュッセル万博フィリップス館(58)などを手がける。その間オネゲルとミヨー、またパリ音楽院でメシアンに師事。55年「メタスタシス」(53~54)がドナウエッシンゲン音楽祭で初演され、本格的なキャリアを開始した。セリー音楽への批判から出発、確率論を応用した推計的手法にもとづき、コンピュータにも依拠しながら創作。音楽と科学を架橋する姿勢は国際的に高く評価され、数々の栄誉を受けた。手法の専門性にもかかわらず、壮大で鮮烈な音響を駆使したその作品群は広範な聴衆を惹きつけ、演奏家にも高い人気を誇る。古代演劇的な「オレステイア」3部作(65~66/87/92)、音と光のイヴェント「ポリトープ」など演劇・総合芸術的作品も残す。サントリーホール国際作曲委嘱シリーズでは「ホロス」(86)を作曲した。[平野貴俊]
©RalphAFassey

――細川俊夫と西村 朗とは強固な信頼関係があるとのことですが、この2人の作曲家の音楽と人間性について、あなたの印象をお教えください。

A 細川俊夫とは、強い信頼関係で結ばれています。彼とは1982年にドイツのダルムシュタットで出会いました。多くの作品を私たちのために書いてもらっただけでなく、ずっとよい友人でした。彼の音楽はとても深みがあり、古来の日本に関連する部分が多い。彼は、“旧き”日本と、彼独自の洗練された新しい音楽のスタイルを完璧に融合させています。

西村 朗の音楽は、細川の音楽とはまったく異なり、エネルギッシュでとても律動的です。ゆえに、完璧なコントラストを形作っています。

私たちはよく、この2人の作曲家を1つのプログラムの中で組み合わせます。

西村はすべての弦楽四重奏曲を我々のために書いてくれて、私たちも彼に魅了されました。彼の弦楽四重奏曲のほとんどには神話が副次的な主題としてあります。

今回のコンサートのために、私は第5番の「シェーシャ」を選びました。「シェーシャ」はインドの神話に登場する、何千もの頭をもつ巨大な不死身の蛇の名前で、地中に棲み、大地を支えています。シェーシャの覚醒は、地球の覚醒を意味します。西村は、巳年生まれの私のために「蛇の形をしたお祝いの小さな音の指輪のようなものを贈りたかった」と言ってくれました。

残念ながら、アキラはもうこの世にいません……。

細川俊夫
1955年広島生まれ。1976年から11年間ベルリン芸術大学で尹伊桑に、フライブルク音楽大学でK. フーバーに作曲を師事。80年ダルムシュタット国際現代音楽夏期講習に初めて参加、作品を発表する。以降、ヨーロッパと日本を中心に、作曲活動を展開。日本を代表する作曲家として、欧米の主要なオーケストラ、音楽祭、オペラ劇場などから次々と委嘱を受け、国際的に高い評価を得ている。作品は、大野和士、準・メルクル、シルヴァン・カンブルラン、ケント・ナガノ、サイモン・ラトル、ロビン・ティチアーティ、パーヴォ・ヤルヴィなど、世界一流の指揮者たちによって初演され、その多くはレパートリーとして演奏され続けている。2004年にオペラ「班女」がエクサン・プロヴァンス音楽祭、11年にオペラ「松風」がモネ劇場、16年にオペラ「海、静かな海」がハンブルク、17年にオペラ「二人静」がパリ、18年にはオペラ「地震・夢」がシュトゥットガルトで初演。いずれも大きな注目を集めるとともに、高い評価を受けた。00年ルツェルン音楽祭、13年ザルツブルク音楽祭のテーマ作曲家として多くの作品が演奏された。01年にドイツ・ベルリンの芸術アカデミー会員に選ばれる。06/07年および08/09年、ベルリン高等研究所からフェロー(特別研究員)として招待され、ベルリンに滞在。12年にはドイツ・バイエルン芸術アカデミーの会員に選出。12年に紫綬褒章、18年度国際交流基金賞、21年ゲーテ・メダル受賞。現在、武生国際音楽祭音楽監督、東京音楽大学およびエリザベト音楽大学客員教授。20年から広島交響楽団、23年チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団のコンポーザー・イン・レジデンス。23年ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ルツェルン交響楽団、読売日本交響楽団共同委嘱、ヴァイオリン協奏曲「祈る人」が樫本大進独奏によって世界初演された。
©Kaz Ishikawa 
西村 朗
大阪市に生まれる。東京藝術大学卒業、同大学院修了。日本音楽コンクール作曲部門第1位(1974)、エリザベート王妃国際音楽コンクール作曲部門大賞(77・ブリュッセル)、ルイジ・ダルッラピッコラ作曲賞(77・ミラノ)、尾高賞を6回(88・92・93・08・11・22)、中島健蔵音楽賞(90)、京都音楽賞[実践部門賞](91)、日本現代芸術振興賞(94)、エクソンモービル音楽賞(2001)、第3回別宮賞(02)、第36回(04年度)サントリー音楽賞、第47回毎日芸術賞(05)などを受賞。13年紫綬褒章を授与される。このほか、02年度芸術祭大賞に『アルディッティSQプレイズ西村朗「西村朗作品集5」』が、05年度芸術祭優秀賞に『メタモルフォーシス・西村朗室内交響曲「西村朗作品集8」』が選ばれる。00年よりいずみシンフォニエッタ大阪の音楽監督に就任、03年よりNHK-FM「現代の音楽」の解説を6年間、09年より同Eテレ「N響アワー」の司会者を3年間務めた。また、15年4月からは、再度NHK-FM「現代の音楽」の解説を務める。10年草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティヴァルの音楽監督に就任。東京音楽大学教授。19年2月には、新国立劇場6年ぶりとなる創作委嘱作品・世界初演「紫苑物語」がオペラ芸術監督大野和士の指揮で上演され、大成功を収める。23年9月7日69歳で死去。
©Jun Sanbonmatsu