「余白」のある指示が ベルリン・フィルでも活きた

——それはやはり伝統の中で培われてきたのでしょうね。この近くのティタニア・パラストを舞台にした戦後直後のフルトヴェングラーの録音もそうですが。

山田 そうそう。それをいま、(首席指揮者の)キリル・ペトレンコ先生のもとで、ちゃんと折り目正しくやっている。それもすごいことですよ。そのおかげかわかりませんが、指揮者の要望に応えて、静かに話を聞いてくれる。嬉しかったですね。

今回について言えば、日本人の指揮者がこのオケがあまりやらないフランス音楽を、それも流暢じゃない言葉でリハーサルするのがよかったのかもしれません。

——というと?

山田 以前、(ドイツの)ボーフムのオーケストラを指揮したときに、団員さんが寄ってきて「想像力を刺激してくれるのがいい」と言われたことがあったんです。僕はドイツ語が不得意なので、英語でも細かく言えるわけではない。指示が曖昧だから余白ができちゃうんですよ。

たとえば、ボウイングをバナナの絵のようにとか、ナイキのロゴのようにとか言うけれども、具体的に何かを指示しているわけではない。あくまでイメージに過ぎません。でも、その余白がイマジネーションをかきたてて新鮮だったと言われて、そんな捉え方もあるのかと。

それまでは「もっとちゃんとしゃべらなきゃいけない」と思っていたのですが、逆に「必ずしも流暢じゃなくてもいいのか」と気づかされました。というか、音楽そのものが余白じゃないかしらと思ったりして。受け取る人のイマジネーションにつなげられたら一番良いですね。

——たしかにキツキツの演奏だと、聴いている方も息苦しくなってきます。

山田 そう。そのやり方をほかのオーケストラと実践してきたとはいえ、正直それが世界最高峰のベルリン・フィルで通用するかどうか分からなかったけれど、思いのほかそれがそのままいけたというのが嬉しい驚きでした。

彼らが得意とするブラームスやベートーヴェンのシンフォニーだったら、また違ったと思います。でも今回は、慣れていないレパートリーだったので、さあどうしようか、というところで。でも、リハーサルでもプランや作戦を練ったわけではないし、その場で出てきた音をどう楽しむか、どうアレンジしていくかというアプローチでした。ある意味、オペラ的だったと思います。

うまくいったら上出来 うまくいかなくても帰る場所がある

——ベルリン・フィルを前にしても気負わずに音楽を作っているなというのは、私も感じていたのですが、それができたというのは、やはり山田さんのこれまでの経験が大きかった?

山田 わからないなあ。でも言えるのは、やはり相手次第なんですよ。なんていうか、いかにも仕事で音楽をやっていますというオーケストラもたくさんあるじゃないですか。仕事感が強いオケだと、こちらも真面目に仕事をしなければいけないと思うから、いきなり「あっかんべー」とか「シェー」とかはできないわけですよ(笑)。

ただ、今回のベルリン・フィルは「何でもとりあえずやってみてください」という雰囲気だったので、思いのほかマイペースにできたのかもしれません。まあ、経験なのかな。どうしても自分のペースを作れないまま本番を迎えてしまった若い時の苦い思い出もありますが、それも含めて全部糧になっています。

今回は、ベルリンの前にモナコ(モンテカルロ・フィル)とバーミンガム(市交響楽団)で壮行会ともいえる公演をさせてもらったのも大きかった。なので、ベルリン・フィルとうまくいったら上出来、うまくいかなくても帰る場所があるから大丈夫という自信をもらえたのは、かなりプラスに作用したと思います。

武満徹「ウォーター・ドリーミング」では、エマニュエル・パユがソリストを務めた(2025年6月12日 ベルリン・フィルハーモニー )ⒸBettina Stoess