――渡航禁止リストに載らなければ、普通にロシアに行けるんですか?
毛涯 もちろん行く人はあまりいないですが、日本人は誰でも観光や業務で行けます。外務省の渡航中止勧告は出ていますが、特に混乱もなく危険は感じません。ウクライナは退避勧告となってます。
――いま直行便は飛んでないですよね?
毛涯 飛んでないです。今ロシアに入るルートは中立国のアラブ諸国経由。アブダビ、ドバイ、ドーハ、イスタンブール経由ですね。どれも高いです。前は飛行機が10万円前後だったのが、いまは25万円前後。飛ぶ時間も倍ぐらい。東京からドアtoドアでサンクトペテルブルクに着くまで35時間くらいかかりますね。
――外国からの情報はどのくらいロシア人に届いているんですか?
毛涯 情報統制をされてロシアの国民は何も知らないんじゃないかって思われているかもしれないですけれど、そんなことはないです。
――政府がSNSを禁止することはできない?
毛涯 インスタグラム、FacebookなどのSNSは悪影響として確かに政府によって遮断されましたが、VPNで国外のサーバーを経由すればアクセスできるので、50代くらいの人までは常識としてそれを使っています。国外のニュースもちゃんと見ている人は多いです。実はそういった意味で情報弱者は日本より少ないと言えるかもしれません。日本は国内のニュースしか見ない人がほとんどですから。
――日本にいると、毛涯さんがこれまでやってこられた古美術商の仕事なり行動って、相当勇気のあることのように感じます。危険を好んで冒しているようにさえ見えるんですけれど、そうでもないんですか?
毛涯 うーん、ある意味鈍感力は必要だと思いますね(笑)。
コロナ禍でもそうでしたが、実際の状況と報道によるイメージとではかなりの差があるので、あまり情報に偏りすぎると身動きが取れなくなるだけです。そういう意味では、戦車の映像ばかり登場させる日本のニュースはあまり見ないです。現地の情報はある程度キャッチしているし、動いていく中で感覚としてアップデートされていく感じでしょうか。
ウクライナの知人達ともたまに連絡をとっています。侵攻が始まった頃はニュースの映像で崩れた家があると「これあなたの家じゃない?」「いや、違う」みたいな感じで、気が気でない様子でした。幸い僕の周りでは亡くなった人はおらず、ほとんどがヨーロッパに避難しました。祖国を追われて気の毒ですが、それぞれが違う国で新しい人生を築いていることに勇気づけられます。
一方でビザなしで行けるタイやトルコなど、ロシア人観光客が押し寄せていると報道がされるようになってきました。それを冷ややかに見る風潮はありますが、楽天的に生きることは悪いことでしょうか。国がそんな状況だと羽を伸ばしに行きたくもなりますよ。しょうがないじゃないですか、個人なんだから。それぞれがこれからの人生を考えるためにしている行動ということは知っておいてほしいです。
――ピティナを退職されたあと、古美術のお仕事はロシアから始まったわけですよね。
毛涯 もともと古美術に詳しかったわけではないです。でも、たまたまロシアに行って、仕事しなくちゃとか、もがいているうちに、最初はソビエト時代の食器とかを市場に行って買って、それを売るみたいなことをやってたんです。
そのうちにだんだん古いものが買えるようになって、これは本当に古いものなのか?と疑心暗鬼なんですけど、博物館に行くと、これは何世紀の、と言われたとおりのものが確かにある。そこから興味が湧いてきて。博物館に通ったり資料を買い集めるようになりました。
お客さんが興味を持ってくれたのも大きな理由ですね。需要がなければ僕だって買い続けられないし、お客さんに勉強させてもらいながら歴史のことやロシアのことを発信してフィードバックする。そういう感じでやってきました。
そのうちに歴史を通してギリシア、ローマ、エジプト、メソポタミアなど地中海や中東方面にも興味が広がっていきました。市場や店だけでなく、主要な考古学博物館やオークション会場に行って、物をとにかくたくさん見る。すると、真贋もそうですが、様式のようなものも見えてくる。
――すごいですね。そうやってゼロから新しい仕事を成立させられたというのは。
毛涯 すべては縁だったと思います。ロシアの人って結構正直なんですよ。入り込むとすごく仲良くなれる。たとえば向こうが贋物を持っていても、「これは贋物だから君には売らない」と言ってくれる。
僕も勉強しないでやっていたら、もしかしたら騙されるかもしれないですけど、会話を通じてこちらにどれくらい知識があるかが分かると相場での値段交渉ができる。そうして何回も買ううちに良いものを提案してくれたり。
――そうやって信頼関係を作っていくんですね。古美術って実用性はあまりなくて、「美しさ」とか、「過去に対する想像力」とか、有用でないことの価値に目覚めさせられる良さってあると思うんです。
毛涯 日本の骨董でいうと、お酒をのむ杯だったり茶碗だったりとか、使えるものが一般的に親しまれているんですけど、僕が扱うものには、実用に使えるものはほとんどないです。でも、使えないものにこそ信仰や文化が色濃く残っている。それを価値づけしていくってことが、僕の役目だと思っています。
実際のところ、古代の造形はピカソやモディリアーニなど、多くの芸術家に影響を与えていますし、豊穣多産を象徴とした地母神像などはユングの「普遍的無意識」に関連していたりと興味は尽きないんです。