強烈な経験を経て、10歳の僕がなりたいと思ったのは作曲家でした。第九のような曲を作れる人になろうと。ベートーヴェンを神様にして、少しでも近づけるように精進しようと思いました。

ところがクラシック音楽という大海に船を漕ぎ出したものの、後も先も見えなくて、ただ海に漂っているだけ。美しい景色が見えても、その景色はいつも遠のいてしまうのです。第九という巨大な作品に向かい合った時に、今も感じる思いと同じです。

それ以来、僕はベートーヴェンの影をずっと追いかけ続けているのです。

母といっしょにガリ版で刷った五線紙

最初に僕がやったことは、五線紙を作ることでした。母親が小学校の教頭先生だったこともあって、用務員室のガリ版印刷機を使わせてもらえたのです。「お母さん、あれで五線紙を作って」とねだって、母と二人で刷りました。ガリ版印刷はコピー機とは違って、一人だと大変な作業。母がインクのついたローラーを転がして、僕が印刷された紙をさっと取る。とてもドラマチックな光景だったと思いますよ。

五線紙を印刷したものの、どうやって音符を書いたらいいかわからない。僕はただ音符を書き続けました。おそらく周りの人が見たら「この子、どうしちゃったんだろう」と思ったでしょうね。それまでの僕は、学校では番長で、ひどく生意気な子どもでした。父が体育教師だったこともあって、運動も得意でした。ところが、五線紙を作ってもらった日から、ぴたっと番長をやめて、五線紙に音符を書くことに専念するようになったのですから。