「ピュアな面白さ」から離れてしまう「教育」って……

樹原 私自身は子どもの頃から、楽譜になっているものを弾くよりも、自分で曲を作って遊ぶ方がずっと楽しかった。今となっては、ピアノは私のすべての考えを表すツールです。

五味 たとえて言えば、言葉の材料を学習するまでが教育で、文章の書き方は教えなくていいんだよね。この気分を表すのに、もっといい言葉がありそう、どう書いたらピッタリくるだろう、と考えるのは個人の遊びで、教育では絶対無理。

でも、語彙は豊富にしておいた方がいいよね。言葉も音も色も、選択肢が多い方が遊べる。ドとレの間にだって限りない音があるわけでしょ。

樹原 とくに弦楽器は、音程の取り方こそ人それぞれ、ピアノも触り方によって音色が変わります。それが個性であり、センス。掘り下げていくと本当に面白い。でもピアノを習っているうちにピュアな面白さから離れて難しく感じて、音大生でさえ何が好きか分からなくなっちゃうことも。

「自分が幻のものに縛られているだけなのかもしれないと気づくと、もっと自由になれるかも」

五味 だから、初等教育がダメなの。スゴイ世界なんだから緊張して入ってきなさい、教えてあげるから決まった時間に来い、導いてやる、という学校のかたち。早くできるようになる、早くうまくなる、今日より明日が良くなって、常に上昇しなければいけないという、どこからきているかわからない価値観に苛まれ、日々追われている。

でもさ、音楽家なんかも、日本の若者たちの中にけっこう面白いヤツが出てきているし、今までの教育法からイチ抜けて、その人なりのやり方で通している人も多くなってきたね。