——京都市交響楽団はどんなオーケストラですか?
会田 京響の雰囲気は、まず明るくてオープン。これは本当に素晴らしいことだと思っています。ほかのオケにもいかせていただくことがありますが、真面目なところが多い印象。京響が真面目じゃないって言ってるわけじゃないんですけど(笑)、やっぱり地は関西だなぁと感じます。
たとえば、指揮者がちょっと面白いことを言うと、みんなが一斉にツッコミを入れるんですよ。「あ、そうやな」みたいな感じもあるし、「じゃ、なんとかちゃう?」みたいな。沖澤のどかさんは語彙力が豊富な方で、面白いことをおっしゃるんですけど、最初に京響にいらしたリハーサルで「ここはこういうイメージです」みたいなことをおっしゃったら、「ああ、あれやな」「そうやな」と口々にすごい盛り上がっちゃって。そしたら沖澤さんが「しー」ってされて。「え、プロオケだけど私たちしーって言われてる!」って思ったのが忘れられないですね(笑)。
音楽にもその表現の意欲が表れていると思います。京響は、自分の音や自分の感情、自分の音楽的な要素というものを一人ひとりが大事にしていて。それをみんながうまく出せたときに、ものすごく爆発的な音楽の大きさが生まれるんです。
——個々が強烈だとコンサートマスターとしてまとめるのは難しいのでしょうか?
会田 全然まとめようとは思っていなくて、私がいちばんできるようになりたいなと思うのは、器や引き出しを多く備えておくことです。
指揮者が真ん中にいて、どうしてもそこから音楽が生まれていくから、物理的に離れていると音楽的にも距離が生まれてくると思います。だからこそ、奏者一人ひとりが「自分はこう思ってる」「自分がいい音を出せている」というのを引き出せるように、実際に演奏しているコンサートマスターが器を作ってあげる必要があると思っています。
タイミングが早い人、遅い人がいて当然で、「ここに合わせて」と言うと縦の線ばかりにとらわれてしまう。でも、縦線がすべてではない。いろいろな器を用意しておくことで、それぞれの音を活かせるんじゃないかと思っています。
コンサートマスターに引き出しがたくさんないと、みんなが困る。指揮者も困るし、オーケストラ全体も困る。だからこそ、それを意識してやっています。
——器や引き出しを多く持つとは、具体的にはどういう対応力や感覚を指すのでしょうか?
会田 まず指揮者の音楽が棒から汲み取れます。棒を上げただけで、どういう音色が欲しいかわかるときもあります。自分が弾きたい音楽もあるので、それを出しつつ、棒から汲み取ったものを出します。それが京響に合っているかどうかも大体わかってきました。それで、あっこうなのね、こうらしいけどどうかな、と音でやりとりします。
アインザッツという言葉はあんまり好きじゃないんですけど、合図でどういう音色が欲しいかわかるコンサートマスターは本当に素晴らしいなと思います。あとは、技術的な話だと、ボウイングのテクニックですね。
コンチェルトでは、やっぱりソリストには気持ちよく弾いてもらいたいと思っています。室内楽的な感覚の優れたソリストが多いので、コンマスだけでなくオーケストラ全体で「こうしよう」と音楽をつくっていく感覚が大事です。
なかでも昨年共演したチェリストのクニャーゼフとのショスタコーヴィチ「チェロ協奏曲第1番」は印象的でした。とくに、ゆっくりした楽章で彼が奏でたメロディの音色があまりに美しくて、そのあと同じ旋律を弾くヴァイオリンパートをどう導くか、コンマスとしての責任を強く感じました。
正直、自分にこの音色が出せるだろうかと不安になるほどでしたが、京響のメンバーは私の思いを察してくれて、「莉凡ちゃんがこう