——本のなかでは、「副題」にまつわる背景の複雑さも触れられていました。たとえば交響曲の場合、ハイドンやモーツァルト、ベートーヴェンの作品にも「第○番」の後になんらかの副題がついていることがありますよね。ただし、これは名付けられた背景や名付け主もさまざまだとか……。

茂木 そうなんです。たとえばハイドンの交響曲には第83番《めんどり》や第94番《驚愕》など副題のついたものが多いのですが、実際に本人が名付けたものは3〜4つくらいしかないらしくて。

《めんどり》に関しては、第1楽章の第2主題の「タッタタッタ」というリズムが鶏に似ているから、という理由でハイドン以外の人に名付けられたんですよ。

ハイドン:交響曲第83番ト短調 Hob. I:83(《めんどり》)

モーツァルトの交響曲第31番《パリ》や交響曲第38番《プラハ》もその都市を描写した作品ではないし、ベートーヴェンの交響曲第3番《英雄》も彼が残したテキストをもとに付けられた形容的な通称であり、どちらも本人が名付けたものではないんですよね。

——彼らの生きた18世紀末〜19世紀周辺は、自分で名付けるケースのほうが少なかった訳ですね。

茂木 もはや、曲名というより「愛称」ですよね。でも、200年以上経っても我々はそれを正式名称かのように扱っている。そんな背景を知ると、クラシックファンのビギナーのみなさんは驚かれるんじゃないでしょうか。

丸山 ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第29番《ハンマークラヴィーア》も厄介です。「ハンマークラヴィーア」とは楽器のフォルテピアノ(フォルテピアノとは、18世紀から19世紀初頭にかけて,ピアノの名称のひとつとして用いられた。現在では、とくにこの時期のピアノをさす名称として用いられる)のこと。「ハンマークラヴィーアのための大ソナタ」とドイツ語の名称を伴って出版されたのでその愛称で親しまれていますが、ベートーヴェンはこの頃、ドイツ語を使うのを好んでこの言葉を用いたので、「ハンマークラヴィーア」を曲名だと認識していいものかどうか、少し疑問ですね。

それにすでにop. 101の初版で「ハンマークラヴィーアのための」という記載が「ピアノフォルテのため」というフランス語と併記されています。

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第29番 op.106(《ハンマークラヴィーア》)

茂木 現代の我々が勝手に「これが正式な曲名だ」と思っていても、そこには必ずしも作曲家の意思が反映されているとは限らない。これは、とくにハイドンやベートーヴェンの生きた19世紀前半ごろまでの作品において押さえておきたいポイントですよね。

丸山 その通りだと思います。私の教えている大学でも、「ベートーヴェンの《月光》は月の光をイメージしているのかな」とか、「モーツァルトの《プラハ》はプラハの情景を描いているのかな」と考えている学生さんがやはり多くて。ベートーヴェンは《月光》で月の光を描いたわけではないし、モーツァルトも同じくそうです。

茂木 「言われてみたら、ちょっとボヘミアっぽいな」と勝手に理解して感動する方もいらっしゃるでしょうね(笑)。

丸山 でも、作曲家が望んだものではないにもかかわらず、「本人はこんなことをイメージしていたんだろうな」と背景を知らずに想像するのは、度を過ぎれば作品や作曲家にも失礼なのではないか、とも思うんですよね。

だから、交響曲やピアノ・ソナタなど、どうしてそのジャンルなのか。どうしてそのような副題がついているのか。それは一体何を意味するのか。それを紐解くことで、見えてくるものがあると思います。それはおもしろい作業であり、歯がゆくなる行為でもあります(笑)。