「第九」初演に加わった腕利きの奏者たち

このようにして、「第九」が初演されたアカデミーでは、ケルントナー門劇場、つまり宮廷劇場管弦楽団をはじめ、独唱者や合唱者が出演した。つまり、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団やウィーン国立歌劇場合唱団の元祖ともいえる団体が演奏をおこなったのである。

しかも彼らだけでは、ベートーヴェンの満足できるような音響が得られなかったため、ウィーンの音楽愛好家たちの集まりである楽友協会のメンバーも、オーケストラや合唱団に加わった

つまり「第九」については初演当時からして、本日の演奏会のように「プロ」と「アマチュア」が共演するというスタイルが存在していたということになる。

ウィーン楽友協会の建物(1898年頃)。ウィーン楽友協会は、ウィーンの音楽家・音楽愛好家により、演奏会の企画、音楽資料の収集などを目的として1812年に設立。1870年に完成した同協会の新館内の大ホールは、現在も音響のよさを誇る演奏会場として、またウィーン・フィルの本拠地として有名

リハーサルも3度にわたる全体練習に加え、オーケストラや合唱等の個別練習がおこなわれた。

結果、宮廷劇場で活躍する優れた音楽家、さらには愛好家といえどもこれまた優れた腕前を持つ楽友協会の会員たちの活躍で、アカデミーは大成功に終わる。

つまり往々にして言われるように、「第九」の初演は失敗だった、あるいは観客は熱狂こそしたが演奏の出来は今一つだったという「伝説」は、けっして正しいとは言えない。