このようにして、「第九」が初演されたアカデミーでは、ケルントナー門劇場、つまり宮廷劇場管弦楽団をはじめ、独唱者や合唱者が出演した。つまり、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団やウィーン国立歌劇場合唱団の元祖ともいえる団体が演奏をおこなったのである。
しかも彼らだけでは、ベートーヴェンの満足できるような音響が得られなかったため、ウィーンの音楽愛好家たちの集まりである楽友協会のメンバーも、オーケストラや合唱団に加わった。
つまり「第九」については初演当時からして、本日の演奏会のように「プロ」と「アマチュア」が共演するというスタイルが存在していたということになる。
リハーサルも3度にわたる全体練習に加え、オーケストラや合唱等の個別練習がおこなわれた。
結果、宮廷劇場で活躍する優れた音楽家、さらには愛好家といえどもこれまた優れた腕前を持つ楽友協会の会員たちの活躍で、アカデミーは大成功に終わる。
つまり往々にして言われるように、「第九」の初演は失敗だった、あるいは観客は熱狂こそしたが演奏の出来は今一つだったという「伝説」は、けっして正しいとは言えない。