それもこれも、ベートーヴェンを必要以上に「苦悩と闘いの人」として祀り上げようとした第三者が、こうした話を作っていたためである。またそうした意味では、「第九」初演の際にベートーヴェンの耳がほとんど、あるいはまったくきこえなかった、という説も注意してかかる必要がありそうだ。何しろ初演に参加した合唱団の一員が、音楽の流れにきちんと則りながら、ベートーヴェンが楽譜をめくって指揮していたと回想しているほど。
また、「第九」初演時のベートーヴェン全聾説を裏付ける話として、彼以外に指揮者が2人いたということがしばしば挙げられる。
たしかにベートーヴェンの他に、オーケストラを統括する指揮者兼コンサートマスター、また合唱とオーケストラのタイミングを合わせるための補助指揮者がいた。
ただしそれは、舞台の下に合唱が並び、舞台の一番前に独唱者、その奥にオーケストラが配置されるという、現在ではありえない、だが当時は当たり前の形で上演がおこなわれたためだった。
そうした状況の中、ベートーヴェンは舞台下の合唱団の前で指揮をした。となると、蝋燭の灯りしかない当時の劇場において、彼の動きを舞台上のオーケストラ全員が見られるかと言えばそうではない。
しかも、合唱は舞台に背を向けて、客席の方に向かって歌っている……。となれば、補助の指揮者や、指揮者役のコンサートマスターが必要となるのは当然で、当時劇場でおこなわれる合唱付きのオーケストラ演奏会では、この形態は珍しくなかった。
このように「第九」をめぐっては、初演の事情1つをとっても、かつての常識がその後途絶えてしまったがために、さまざまな憶測や推測が生まれることとなった。それもこれも、この作品があまりにも型破りな存在であり、またそれが後世の人々をとらえ続けたため。初演場所のケルントナー門劇場も、150年ほど前にとっくになくなってしまったが、そこに200年前に鳴り響いた「第九」が、今でも繰り返し上演される所以である。
「第九」の初演をめぐる、より詳しいエピソードや「第九」誕生までの経緯、さらに受容史については、筆者が執筆した新刊『ベートーヴェン《第九》の世界』(岩波新書)をご覧ください。
型破りなスケールと斬新な構成によって、西洋音楽史を塗り替えてしまった「第九」。ベートーヴェンの音楽とシラーのテキストが創り上げる強烈なメッセージ性ゆえに、音楽を超え社会にさまざまな影響を与えると共に時代の流れに翻弄され、数奇な運命を辿った。初演から200年、今なお人々の心を捉える「とてつもない曲」に迫る(岩波新書)