——皇后エリザベート(愛称・シシィ)の愛をめぐり、彼女を「死」に誘おうとするトートと、夫フランツとの対立もみどころです。お二人にとって「エリザベート」は、どんなヒロインですか?
井上 自分が最初にルドルフ役でデビューしたときは、一路真輝さんがシシィだったんです。エリザベートファンにはみんなそれぞれ「親エリザベート」がいるのですが、僕にとって一路さんが「親シシィ」なので、その印象が強いですね。トートとしては、花總まりさんや蘭乃はなさん、愛希れいかさんのシシィを見てきたので、今回の2人のシシィも稽古をすればするほど、これまでのいろんな瞬間を思い出しました。
シシィって、強すぎても弱すぎても甘すぎてもダメという、絶妙なあんばいが必要な役だと思います。だからこそ、演じる方はやりがいがあるんだなと見ていて感じます。初演時は、「この時代のオーストリアに、こんな強い意志を持った人がいたんだ!」と、驚いたけれど、今は現代に生きる女性が彼女に近づいていますね。
田代 僕は日本のエリザベートを愛している皆さんは、きっと自分とシシィを重ね合わせて、お風呂でこっそり「私だけに」を気持ちよく歌っているんじゃないかなと思うんです(笑)。そういえば昨日、一路真輝さんが歌う「私だけに」の音源を改めて聴いてみたら、歌い方が本当に力強く、とても新鮮でハッとさせられたんです。
井上 どんなところが力強いの?
田代 ニューヨーク・ポップス・オーケストラの演奏でレコーディングされたものなのですけど、クライマックスの手前あたりの意志の強さとその主張がすさまじい。僕がこれまでご一緒した方たちとは、また違うシシィだと思いました。歴代のシシィはそれぞれ異なる魅力があり、演出家の小池先生は、一人ひとりのシシィ役者の個性をうまく役に投影されている気がします。
一路真輝、ニューヨーク・ポップス・オーケストラ「私だけに」
——舞台の上では、お互いの役をどんな風に思っているのでしょうか?
田代 僕も、芳雄さんのトートがフランツをどう思っているのか聞きたいです。
井上 トートはそもそも、いつだってフランツの命を狙えるんだから、あまり彼を気にしてないと思ってたんです。ただ最初の頃は、シシィと愛し合っているから、トートにとっては邪魔者ではありますよね。でも、年月を重ねるとその状態が複雑になる。むしろシシィはフランツのせいで死にたくなるし。
田代 たしかにそうですね。
井上 だから、フランツはトートにとって、人間の複雑さを体現している存在じゃないかな。トートがシシィの死を望んでも、彼女がまだ死なないのは、フランツや息子とのつながりの中で、元気になったり落ち込んだりするわけだから。そんな人間らしさの象徴なんじゃないかと思います。
田代 なるほど。そういえば、トートはエリザベートとその息子のルドルフには「キス」をするのに、なぜフランツにはしないんですか?
井上 それはやっぱり、トートがエリザベートを愛しているから。トートにとってルドルフは、半分エリザベートみたいな存在なんだと思う。
——では、フランツにとってトートはどんな存在ですか?
田代 僕の解釈では、最後の「悪夢」のシーンで、フランツは初めてトートの存在を知るんです。トートに対して「恥を知れ!」と罵倒している歌詞もありますしね。実際、帝国劇場の公演では、1階席の一番後ろの壁にガラスがあるのですが、それが反射して、真後ろにトートがいるのがフランツに見える。その瞬間、「こいつが、これまでのすべての不幸の根源そのものだったのか!」とつながります。
井上 トートから見ると逆に「悪夢」のところで、フランツに今からすることをちゃんと伝えている気がする。だから、ちょっと律儀というか、フランツを認めているんだと思う。シシィへの愛が長く続いて、ずっと変わらなかったことが、トートには驚きでもあったのかなと。
田代 とはいえ、フランツにとってトートは、やっぱり得体の知れない存在ですね。皇帝としての人生と、シシィとの夫婦としての人生に立ちはだかるし、ハプスブルク家の滅亡の根源でもある。フランツの人生の「死神」といえるかもしれない。でもその罪滅ぼしなのか、『エリザベート』のカーテンコールのときの芳雄さんって優しいですよね。最後にみんな揃って舞台の前に出るとき、いつも後ろから僕の腰をそっと押してくれたり、なにか一言声をかけてくださる。
井上 あれは「このあと、何食べる?」みたいなつもりなんだけど……。
田代 僕の密かな喜びのひとときです!